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(79)向良(こうら)神社の夏祭り !

二十四節気では、
7月23日に大暑を迎えます。
暑い日の中でも雨が時折降っていますが、
まだまだ水がめの早明浦付近には、ひと雨、ふた雨、ほしいものです。

 七十二候では、
小暑の末候の鷹乃学習(鷹の幼鳥が飛ぶことを覚える)から、
大暑の初候の桐始結花(桐の実が成り始める)の移りの候です。

 ウォルター・クロンカイト氏が亡くなりました。
またしても、ショックです。
享年92歳ですから、男性だと大往生と言ってもいいかもしれませんが、
彼は生前、
米国CBSテレビのニュースキャスターとして約20年間大活躍、
涙を浮かべてコメントしたJFK暗殺や、ベトナム戦争、
ウォーターゲート時間など、世紀のニュースを伝える機会に恵まれ、
特にアポロ11号の月面着陸には、当時私は知らなかったのですが、
27時間の中継生放送をしたキャスターでもありました。

 キャスター(アンカーマン)の地位を確立した人でもあり、
一時「アメリカでもっとも信頼されている男性」という
世論評価も獲得したほどです。
巨星がまたひとつ落ち、夜空の星になりました。
ご冥福をお祈りします。

 この連休は、夏休みスタートの3連休という方も多かったと思いますが、
疲れが残っていませんか?
瀬戸大橋で唯一観光客が車で島に下りられる与島に、
この夏の土日祝日、わが観光振興課からは職員を派遣し、
高速道路と橋の千円料金を利用して来られている大勢の観光客の皆さんを
なんとか香川へと、誘客をもくろんで、
香川の情報発信などに努めています。

 私は今でも大いに意外ですが、
千円効果を活用しするのはいいのですが、
行き先をあまり決めずにぶらっと来られる方が意外と多く、
その多くが日帰り観光客です。
香川の魅力をたっぷり伝えて、
今後とも誘客作戦を展開していきたいと考えています。

 千円効果も、
いつまでもそれに頼りきってはいけないのは自明であって、
たとえ無料になっても、勧める観光地や観光資源に本来の魅力がないと、
誰も相手にしてくれなくなります。
情報発信ももちろん大切ですが、魅了アップこそ
私たちががんばって取り組まなければいけない課題です。
そして、おもてなしこそが、一番重要視されるものだと考えています。

 しかし、それにしてもこの3日間は、暑かったです。
驚くなかれ、屋外イベント続きで、色白イケメン顔が
夏休み初日にして、もう真っ黒です。(笑い)

 前回のシビック・プライドの話、
意外と共感される方が多くて、反響が多く驚いています。
皆さん、最近は住んでいる地域への思いが殊の外強い方が多く、
うれしい限りです。

 その地域に住んでいる方が、まずは地域やまちづくりに燃えないと、
誰も手伝ってくれません。
シビック・プライドの話をもっと聞きたいという話も、2,3来ており、
今後とも、そういう活動には側面から支援できればと思いますし、
私自身も、私が生活している地域がもっと素晴らしいものになるように
子供たちが、もっと自慢できるように、
がんばって地域におけるまちづくりへの取り組みや
情報発信などの支援ができればと思います。

てくてくさぬき 夏のオープニングイベント盛況裡に終了 
 夏休みスタートのこの連休中もイベントなどが県内各地で行われ、
特に初日、小豆島ふるさと村で行われた、
「09(まるく)香川まちめぐり てくてくさぬき 
夏のオープニングイベント」は、絶好の天気に恵まれ、
島外から大勢の親子連れの皆さんに来ていただき、
小豆島ならではの魅力を体感していただきました。

 地引網体験に始まり、マリンスポーツで今大人気の
シーカヤックやヨットなど、初めて体験される方も多く、
親子で楽しまれていました。
特に、ヨットはその時間帯にいい風に恵まれたこと、
2人乗りのシーカヤックも、今回は一見レーシング仕様のように
船体がシャープに細くとんがっており、予想を超えるスピードがでて、
参加者からは、たいへん気持ちがよかったなどと、
評判がかなりよく、主催者もほっとしています。
多くの方が、小豆島にこのような参加・体験型のマリンスポーツ教室が
あることを初めて知ったようで、
これを機会にまた訪れてみたいと、
今度は、宿泊もしてのんびりと満喫したいなどと
満面笑みでお話されていました。

 小豆島ふるさと村での、マリンスポーツや地引網体験の概要や
申し込みは、下記のURLにアクセスしてください。

 http://www.shodoshima.jp/cgi-bin/taiken/index.cgi?mode=shosai&no=3

 また、私が特にお勧めの、
夕焼けを背景に、2人乗りのシーカヤックでロマンチックに
瀬戸の静かな海原を軽やかに散策できる
「サンセットシーカヤック」につきましては、
ふるさと村と同じ敷地内にあるNPOの「ドリームアイランド」で
行っていますので、ぜひ、一度ウエブで検索して見てください。
土庄港発なら、サンセットシーカヤック体験後、
フェリーで高松まで帰れますが、
出来れば、折角の機会ですので、小豆島に泊って
満天の星を見ながら、素敵な一夜をお過ごしください。

 http://www.dreamisland.cc/tour/seakayak-sunset.html

讃岐三白 砂糖
 讃岐三白は、高松藩主(特に、5代頼恭(よりたか)、
9代頼恕(よりひろ))時代に生み出された特産品を活用した
さぬきのブランド戦略です。

 これらは、江戸の中期から後期にかけて、専売化されたもので、
貨幣経済の浸透によって財政窮乏状態の藩が、
特産物を専売化することによって収入増加と狙ったものです。

 ①運上金と称して、専売品から一定の税金を取り立てる
 ②藩が商人化して、商品利益を吸い上げてしまう。
ということで、高松藩の砂糖がいい例です。
     
 砂糖といえば、向山周慶(さきやま しゅうけい)と
関良助(せき りょうすけ)の2名を思い浮かべますが、
彼らの偉業を尊び、一文字づつ取って名づけた向良(こうら)神社が、
県内に2箇所(東かがわ市白鳥町と高松市松島町)あります。

 このうち、本来なら、7月14日・15日が祭日の
高松市松島町の向良神社(高松刑務所の南西)ですが、
今年は、18日(土)と19日(日)に、神社のお祭があり、
付近のあちこちにお知らせの張り紙が張られていました。
地域の祭りですから、人出はそれほど多くはなくほどほどでしたが、
それでも、地域の方々のこの2人の偉人の功績への感謝の念は、
多くの県民が知らないという寂しい状況下では、
特筆するものがあります。

 和三盆という極めて高品質の評価の高い砂糖ですが、
生産量は現在でも限られていますし、
それが起因すると言われている餡餅雑煮も
香川県民すべてが食べているわけではありません。
和三盆の原材料の生産地引田では、お雑煮は、餡餅雑煮ではなく、
実はすまし雑煮なのです。

 ここで、「砂糖」について、少しお話してみましょう。
 
 砂糖は、歴史的にいうと、
約2,400前の古代インドで砂糖栽培が始まったと言われています。
砂糖伝来は、奈良時代(754年)に、
鑑真が伝えたと言われています。
当時は、食品というよりは薬のような使われ方をして、
たいへん重宝されたようで、
聖武天皇が薬として食べたり、
大仏にも献上された記録があります。

 鎌倉時代の終わりから、室町時代にかけて、
本格的に輸入され始めたのですが、茶の湯の和菓子の材料として、
使用されていました。
 
 皆さん、ご存知の有名な狂言「附子(ぶす)」は、
この貴重な砂糖がテーマで、黒砂糖の水飴状態で登場します。
主人と太郎冠者、二郎冠者との掛け合いは、ご存知のとおり
抱腹絶倒ですが、ここでいう「附子」とは、
猛毒トリカブトの根の乾燥したもので、
当時の薬学(本草学)の知識の深さには驚いてしまいます。

 1543年、ポルトガル人が種子島に上陸して、
鉄砲、火薬、砂糖などが伝わり、これが南蛮貿易の始まりとなりました。
南蛮とは、ご存知だと思いますが、ポルトガル、スペイン、
そしてイタリアを意味します。
ボタンなどは、ポルトガル語が語源です。
ちなみに、イギリス人やオランダ人は、紅毛人(こうもうじん)と
言われていたようです。
日本の花火などは、この1543年に火薬が
伝わったことを起源としていますので、
この夏、花火を見ればまた思い出してください。
日本の花火技術は、世界一です。

 織田信長は、日本で初めて金平糖を口にした日本人ということを
ルイス・フロイスが書いています。

 薩摩の島津からは、家康に南蛮菓子が4壷ほど、
献上されたと記録に残っていますから、
相当砂糖が貴重なものだったことがうかがえます。

 当時は、奄美大島、琉球国では、砂糖栽培が行われていましたが、
江戸時代、日本は、砂糖をほとんど輸入していました。
輸入(出島砂糖)は、約3,800トン。
全輸入品に占める砂糖の割合も高く、幕府の財政を圧迫していました。

 当時、黒砂糖は、琉球産や奄美産のものが、薩摩藩を介して流入、
白砂糖は、オランダ・中国との貿易で輸入していました。
輸出は、銀や銅でしたが、
その後産出量が減少し始めたため、
8代将軍吉宗は、国内産砂糖を奨励したのでした。

 1725年、吉宗が、琉球からさとうきびを取り寄せ、
試作したことが始まりでしたが、和三盆は、四国においてのみ、
成功したのでした。
他の地域はその後砂糖の栽培には少しずつ成功するものの、
品質的には、和三盆にはとうてい及ばなかったようです。
それほど、この和三盆は、その製法が困難を極めました。

 高松藩は、5代藩主頼恭のとき、
1747年、栗林公園百花園の管理をしていた
「平賀源内」に命じて、
東浜村の花畑で試作研究していましたが、
源内の著書「甘蔗培養ならびに製造」や
「写生画帖」(しゃせいがじょう)にも、
さとうきびの絵があります。

 しかし、この時期、和三盆糖までには、精製は至らなかったのです。

 頼恭は、その後、侍医の池田玄丈(いけだげんじょう)に命じ、
引き続き、栗林荘(現栗林公園)で、様々な試みをしましたが、
結晶質の砂糖製造は不成功に終わりました。

 その後、玄丈の弟子向山周慶に製糖法の研究を指示し、
1780年代末には結晶質の砂糖製造に成功。

 その後、
周慶が、四国遍路で倒れた関良助(薩摩出身)を偶然助けたことから、
命の恩人である周慶に、その後薩摩から、禁制の竹藷を
持ち出し、これも禁制の製糖法を教えたことから、
大きく和三盆製造成功に近づきました。
(なお、このときはまだ黒砂糖でした。)

 そして、ついに白砂糖の完成(1780年代末)となったのでした。

 その経緯は、
さとうきびの搾り汁は弱酸性で、煮詰めるだけでは糖分が結晶化せず
水あめ状になるだけだったので、カキ貝の殻を焼いた粉状の灰を加えると、
灰のアルカリ質が絞り汁の酸と中和して、結晶化となり、
白砂糖の下地である「白下糖」の製造まで進めたのでした。
白下糖をさらに白砂糖にするためには、
「糖密」という液状成分分離が必要であり、
実際この作業を成功させたのは、名もなき農民たちと思われます。
重石で加圧して蜜を絞り、研ぎぶね(盆)の上で揉み練ることを、
数度繰り返すうちに、漂白されて白砂糖に至ったのでした。

 このように、研ぎぶね(盆)の上で、
「糖蜜」という液状成分分離を行ったことで、
和三盆と言われています。
       
 1803年、藩に献上して、砂糖作りに協力を申し出たが、
①製糖技術も未熟
②藩の保護も不十分
ということで、文政末から天保にかけて一時期衰退しましたが、
9代藩主頼恕(よりひろ)の時に、
砂糖による財政の立て直しを行い、
1835年、家老の筧(かけい)速水に命じて
糖業の保護などを事業展開し、
砂糖方、砂糖取締役などの役所や役人を設置し、
さとうきびの植付面積を増やしました。

 白砂糖は大阪で大人気で、
「雪白の如く、舶来品にいささかも劣らず」と大評判になりました。

 その結果、
1836年に、2,043haで735トン採れていたものが、
1871年(明治4年)には、
88,000haで317,300トンも収穫できたのでした。

 丸亀藩においては、京極4代藩主の
京極高中(1754~1811)が
塩屋村で、サトウキビの栽培を行わせ、
下級藩士の内職として広まった団扇づくりとともに、
藩の重要な収入源となったのでした。

 明治になって、外国産の安価な白砂糖が輸入され、
香川のサトウキビ栽培が衰退しました。
特に、日清戦争になって、台湾が植民地になり、
とても安価な砂糖が国内へ入りこみ、
国内栽培は厳しい状況下に置かれました。

 余談ですが、日本からアメリカへの輸出額が当時多かったのは、
なんとお茶なのですね。
このお茶、当時のアメリカ人は、これにお砂糖をたっぷり入れて
飲んでいたようで、
その味は、当時大流行したようでした。
(私たちには、よくわからない嗜好ですね・・・)

 現在では、沖縄や南九州の一部を除いて、
砂糖栽培は、あまり商品栽培としては行われていませんが、
香川の東部(引田)から徳島鳴門にかけては、
とても品質のよい和三盆が製造されています。

 現在、「和三盆」の商標登録は、
徳島の岡田精糖が申請し取得していますが、
岡田精糖にとって、本家であり今でも伝統的な製法で
和三盆の製造をしている引田の三谷精糖に、やはり道義的にも
商標を主張しにくく、三谷精糖が「和三盆」を商品名に使用、
岡田精糖は、阿波(あわ)和三盆という名称を使用しています。
香川のばいこう堂は、三宝糖という名を使用しています。

 三谷精糖

   http://www.wasanbon.com/


 ばいこう堂

   http://www.baikodo.com/


◎情報コーナー
●「てくてくさぬき」いよいよ夏バージョンに突入
 下記のウエブサイトをご覧ください。

 ○てくてくさぬき 夏バージョン
  香川は異国  時を忘れる国

  http://www.tekuteku-sanuki.jp/summer/index.html

●歯アート美術館
 みやこうせい先生 特別講演会 演題と日時
  「ルーマニア45年~お接待の国の人と心」
  7月26日(日)午後2時
  歯アート美術館 無料

●22日は、今世紀最大の皆既日蝕ショー
 私は、その頃台湾出張で、残念ながら見れませんが、
高松でも天気にさえ恵まれれば、部分日蝕は見れます。
楽しみにしてください。

●訂正
 間違った前回の内容
一方、ファラフォーセットについて言えば、
まだまだこれからも、求婚したロバート・レッドフォードとの
楽しい人生が待っていたわけですが、
運命は残酷で、ため息何度もでます。

 以上は、私の完全な勘違いで、
求婚したのは、ロバート・レッドフォードではなく、
ライアン・オニールでした。
これについては、50通以上のメールや電話が殺到。
驚きました。これほどまでに皆さんの心の奥底に
この映画は残っているのですね。
たいへん失礼しました。

 学生時代に彼女と見た
アーサー・ヒラー監督、エリック・シーガル脚本の
「LOVE STORY ある愛の詩」は、
ライアン・オニールとアリー・マックグロー主演の映画で、
「愛とはけっして後悔しないこと」という名せりふを残した、
私たちの世代には、忘れられない映画です。
また、私が初めて原書(英語)にチャレンジして読み終えたのが、
この映画の原作本「LOVE STORY」でした。
一気に読み終えたこと、今でも覚えています。

 ちなみに、ロバート・レッドフォードと言えば、
若い方には監督のイメージが強い俳優ですが、
私たちの世代では、シドニー・ポラック監督、
ロバートとバーブラ・ストライサンド主演の
名作「追憶」で、多くの女性を虜にしてしまいました。
 主人公のロバート・レッドフォードが
盛り場で、椅子に座ったまま、海軍の白い正装で、眠るシーンがあって、
それを見たヒロインのバーブラ・ストライザンドが、
あまりのレッドフォ-ドの端正な顔立ち、凛々しい海軍服に
言葉を失い、驚いてしまうシーンがありますが、
ほんとうに出会いとしては、映画史上印象に残るいいシーンだと
今でも鮮明に覚えています。
 マッカーシー旋風吹き荒れる中、主義主張の違いで
結局は生きる方向が変わってしまった2人ですが、
別れて、20年後くらいに、ヨットの船上で、
人生の中で一番輝いていた頃は、
彼女といた頃だとつぶやくシーンは、珠玉のワンカットでした。

 彼は最近実生活でも、21歳年下のドイツのアーティストである
シビル・ザガ―スさんと結婚しました。
彼は、御歳72歳で、お二人は再婚同士ですが、
お幸せに・・・。

●この夏お勧めの夕焼け海岸は・・
 観音寺市豊浜の一宮海岸。
ぜひともお出かけください。
とってもロマンチックな素敵な海岸です。

 香川でも珍しく、多島美の瀬戸内海でも、
逆にあまり島も視野には入らず、
大海原に直接夕日が沈むダイナミックな夕焼けが見れます。
海岸の砂浜の手前には、芝生広場が広がり、
恋人たちの聖地のモニュメントがあります。
ぜひとも、このモニュメントの間から夕日を見ながら、
鐘を鳴らしてください。

  http://www.mapple.net/photos/H0000061573.htm
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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