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(74)秘話 源平合戦と那須与一 !

 二十四節気では、
まもなく、6月21日の夏至を迎えます。
今年は、年明けうどんで新年が明けたと思ったら、
もう夏至なのですね。
齢(よわい)を重ねれば、
歳をとるスピードも早くなると誰かが言っていましたが、
個人的には、とても実感しています。

 七十二候では、
芒種の末候の梅子黄(梅の実が黄ばんで熟す)から、
夏至の初候の乃東枯(夏枯草が枯れる)への移りの候です。

 先週の屋島のヒメボタル乱舞のお知らせ。
「見に行ったよ、すごかった!早起きの甲斐があった。」などメール、
何通かいただいています。
「このような情報、どこで手に入れるのですか?」との問い合わせですが、
動き回っていると、結構、情報は向こうから飛び込んできます。
タイムリーな旬の情報は、これからも皆さんにお届けします。
ご期待ください。

 修正です。
ヒメホタルが見えるところは、
屋島へんろ道登山道(正確には県道4号:屋島公園線)と書きましたが、
正確には、県道14号線でした。

 香川も待ちに待った梅雨に入りました。
鬱陶しくもありますが、きわめて恵みの雨、
わがまま言いますが、集中豪雨となることなく、降ってほしいものです。
とはいうものの、梅雨に入って雨が降ったのは、実質1日。
暑く厳しい日が続いていますが、
一雨、ふた雨ほしいです。

 14日、栗林公園の庭園コンサートは、いい天気に恵まれ、
武内貴美子さんのヴィオリラでした。
2年前の前回の彼女のコンサートは、大嵐でした・・・。
ヴィオリラとは、大正琴のつくりをヒントに、弓で演奏でき、
21世紀に生まれた新しい楽器です。
弓で弾けば、二胡やバイオリンに、指で爪弾けばギターの音色に
ピックではじけば、大正琴のように聞こえます。

 ヴィオリラの人気なのか、
はたまた演奏者の武内さんの大ファンが多いのか、
今回の庭園コンサート、
なんと約430人の方に聞いていただき、
私が経験している中でも、おそらく、観客の数は、
栗林公園庭園コンサート始まって以来の、
おそらく史上最高の人出だったのではないかと思われます。
ほんとうに、次から次へとお客さんが途切れることなく来ていただき、
約200席用意していた椅子は、あっという間に埋まりました。
また、コンサートも予定をかなりオーバーして、
なんと小一時間近く演奏していただき。
主催としては、うれしい限りでした。

 でも、武内さん曰く、コンサート終了後、
皆さん一番関心があったのは、結果的には、
着物や帯で作った私たちのステージ衣装でしたと
笑っていました。

 日曜日、天気がよく、午前の爽やかで心地よい風を受けて、
お庭の国宝で奏でられる音楽に、
ひととき身をゆだねられている観客の皆さんの
幸せそうなお顔を見ながら、思わず
人間って、本当は幸せを意識していないときこそ、
一番幸せなんだろうなって、痛感しました。

 大勢の皆さん、ありがとうございました。
また、コンサート後も、80人くらいの方が、
栗林公園にまつわる目からうろこが落ちる私の拙話を
残って最後まで聞いていただき、感謝です。

①ミシュラン三ツ星庭園 フランス人と日本文化、そして、
 日本一のおもてなし光頭会のお話 

②生駒家の2代目藩主生駒一正公と、関が原の戦いにおける、
 今NHKテレビ「天地人」で話題の上杉景勝・直江兼続や
 石田三成・島左近との関係

③朝鮮出兵(文禄慶長の役)と生駒家の家紋(源氏車から波引車)、
 亀甲船などのお話

④閨閥
 小堀遠州、西嶋八兵衛、そして3代藩主生駒正俊公の正室は、
 いずれも藤堂高虎の娘
 4代藩主生駒高俊公と、高松藩初藩主松平頼重公の正室は、
 実はいずれも、老中土井利勝の娘

栗林公園の作庭者
 西嶋八兵衛、小堀遠州などなど

 最後まで聞いていただき、ありがとうございました。

 話の後にわざわざ私の元に何人も来ていただき、中には遠く、
大阪、徳島、高知と、県外から話を聞きにきていただいた方もいて、
いくつかの目からうろこが落ちる話、これだけで来た甲斐があったと、
うれしいような恥ずかしいような気持ちで、大いに照れました。

 県外からわざわざ話を聞きに来てくれた。これには正直驚きました。
私のブログを見て来られたということで、
高速道路と橋の料金1,000円化のすごさ、
改めて実感しました。

 また、2年前に30歳の1人息子さんを亡くされたご夫婦の方も
話を聞いていてくれ、ようやく落ち着き心の平静を取り戻し、
外出できるようになり、栗林公園で元気いただいていますとの
ことでした。

 いろんな人生があります。皆さん、限られた人生、
いい意味でプラス志向で前向きに生きてほしいです。
そして、人生生きてることがもうけもの、
やりたいことやって、楽しく生きてください。

 大勢の皆さんに最後まで聞いていただき、
ほんとうにありがとうございました。

 次回は、9月、
秋は、香川の素顔に触れる「てくてくさぬき」も
伝統文化などをテーマにしますので、
私の話も、香川と言えば、お茶文化、
これと栗林公園のお話ができればと
思います。

 栗林公園は、武者小路千家発祥の地と言われていますが、
千利休、少庵、宗旦と続き、そして、宗守、宗左、宗室の利休のひ孫の時代に、
千三家は興りますが、
なぜ、利休の長男の道安ではなく、養子の少庵なのか、
また、きらびやかな安土桃山文化と茶人、庭園、
後水尾天皇と寛永文化サロンなどと
栗林公園のお話ができたらと思っています。
もちろん、庭園コンサートは、
香川が世界に送りだせるボサノバヴァのディオである
フェリアードの演奏です。
ぜひご期待ください。

 9月13日(日)午前10時からです。


●秘話 源平合戦と那須与一
 高松市の東部に、牟礼町、庵治町があります。
屋根の形をしたメサ状の屋島が真近かに見えて、
静かな落ち着いた街ですが、
 源平合戦の史跡も数多く点在してあります。
1642年に高松に赴任した、
徳川家康の孫であり、水戸黄門の兄でもある、
高松藩の初代藩主松平頼重公が、この源平合戦の史跡を
改めて整備したとも言われていますが、
そこには、私のご先祖様とも思われる、
那須与一に関係のある
扇の的の駒立岩、祈り岩なども、
当時を忍かのように存在しています。

 「源平盛衰記」や「平家物語」(扇の的)には、
那須与一は、登場しても、
歴史書「吾妻鏡」や関白太政大臣九条兼実の日記「玉葉」には、
源平合戦はあっても、那須与一の話は、
一切ないのですから不思議です。
当時、京都の町では、源平合戦(屋島、壇の浦の戦いなど)すら
報道されていません。
たとえば、同時代の鴨長明の「方丈記」などにも、記載はありません。
おそらく、京の人にとって、
四国や九州のことは、ほとんど無関心だったに
違いありません。

 那須与一を後世に残したのは、ひとえに「平家物語」(琵琶法師)の
おかげと私は思っています。

 また、歴史というのは、ほんとうに面白く、
たとえば、源平合戦の幕開けでもある、
1184年2月7日の一の谷の戦いですが、
義経は、本来は、2月4日に奇襲する予定でしたが、
実は、2月4日が3年前に63歳で亡くなった平清盛の命日だったので、
平家が仏事を行っている時に攻めるのはよくないと考え、
日を延ばし、結局7日の奇襲となったわけです。
奇襲はするけど、日を選ぶというのは、
なかなか面白い逸話です。

 海軍を持たなかった源氏は、海に逃げる平家を追うことができず、
結局、2月17日、(大阪)摂津渡辺を発ち、
嵐の中、阿波の国へ向かいます。
そして、現在の小松島市付近に上陸して、
地元の実力者を打ち負かし、
見張りを立てなかった平家の油断を突き、
一挙に2月19日には、屋島の戦い(3日間)に臨み、
2月20日には、扇の的事件、そして、3月24日には、
山口県の壇の浦の戦い(1日の戦い)で、平家を滅亡させています。

 こう書くと、そうかと多くの皆さんが納得するのですが、
実は、なんと、2月7日の一の谷合戦は、1184年、
嵐の中、(大阪)摂津渡辺を発ち、阿波の国へ向かった2月17日は、
翌年の1185年のことであり、ここには1年以上の
ブランクがあります。
これはどうしたことでしょうか?

 答えはこうです。当時の兵士は、農民を借り集めたものであって、
専門職(プロ)の兵隊ではなかったのです。
だから、兵隊を動かせるのは、農閑期の晩秋から冬に限ることとなり、
春を迎える3月には、兵士は、ふるさとに帰って、
農作業に従事するのです。

 1年後だからこそ、平家も油断していたのでしょうか、
屋島まで見張りをほとんど置いていなかったらしく、
だからこそ、徳島上陸後、あっという間に屋島まで駆けつけることが
できたようです。

 屋島の戦いも、いきなり切りあうわけでもなく、
古文書によれば、まずは名前をお互いに名乗って、
それから、お互いの悪口を罵り合って、
悪口が言い尽くされ、疲れた頃から、
ようやく弓矢が放たれることになるようです。
今でもこの戦闘スタイルは、南海の島々では行われているようです。

 源氏の戦いは、たとえば、当時の戦いとしてはタブー視されていた
船の船頭や漕ぎ手を真っ先に狙って、船の自由を奪って、
退治する戦法をとったり、
この源平合戦から、赤組(平家)、白組(源氏)が誕生したようです。

 那須与一宗高、当時17歳。
まさか自分に白羽の矢が当たる(指名される)とは
夢にも思わなかったはず。
それでも、見事成功させて、
下地が金色で、赤い日の丸の扇の的が
ゆらりと舞い上がり、舞い落ちる様は、
まさに琵琶法師の語りの見せどころ。

 平家物語では、以下のような記述があります。

 鏑(かぶら)は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける、
しばしは空にひらめきけるが、春風にひともみふたもみもまれて、
海へさっとぞ散ったりける。
夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出だしたるが、白波の上にただよい、
浮きつ沈みつゆられければ・・・

 目に浮かぶような実に見事な語りです。

 ところで、那須与一の与一は、10あまる1ということで、
よく11男の人を指しますが、那須与一も文字通り11男です。
そして、なんと9人の兄が平家についていたということは
皆さんご存知だったでしょうか!

 見事、扇の的を射止め、褒美に武蔵を始め5つの荘(土地)を
もらったようですが、郷里の神社に全部寄付し、
その後の消息は、どうもはっきりしません。

 「日本人名大辞典」では、晩年は京都で坊さん生活を送っていたとの
記述もありますが、真偽のほどはわかりません。
源平合戦の死者を供養して、全国を行脚したとも言われていますが、
詳細は不明です。

 与一のほかに有名なのは、弟の那須大八(宗久)ですね。
彼のことは、宮崎県椎葉村の「稗つき節」の歌詞にあるように
現在まで伝わっています。
平家の落ち武者の娘である鶴冨姫との恋は、
悲恋の話です。

 ○鶴冨屋敷
  http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/cms/index.php?itemid=237

 ○稗つき節
  http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hietsukibushi.html

 那須と言う姓は、東国武士ということで、
栃木県に多いですが、意外と、宮崎県にも多くあるのは、
このような理由だと思われます。


●歯ART美術館とホピ村
 その牟礼、庵治には、
世界に誇る芸術家のアトリエ(跡)があります。
20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチ庭園美術館も
そのひとつです。
(財)イサム・ノグチ日本財団は、今年設立10周年を迎えます。
また、1967年アメリカのタイム誌で、
世界に向けて日本を代表する5人の文化人ということで、
丹下健三、黒澤明、三島由紀夫、川端康成に加えて紹介された
流政之(ながれ まさゆき)氏のアトリエ、流スタジオがあります。
さらに、20世紀を代表する家具デザイナーと言えば、
ジョージ・ナカシマですが、彼の記念館が、
世界でアメリカの本家以外で唯一ナカシマのライセンスを持っている
地元の桜製作所の永見会長自身ご自身によって建てられ、
外国人には特に大人気となっています。

 ○イサム・ノグチ庭園美術館
  http://www.isamunoguchi.or.jp/gamen/home.htm


 ○ジョージ・ナカシマ記念館
  http://www.sakurashop.co.jp/nakashima/

 イサム・ノグチ庭園美術館にも、多くの外国人が訪れています。
彼を庵治や牟礼に連れてきたのは、
岡山が生んだ偉大な作庭家「重森三玲」ですが、
ノグチは、重森が設計者である京都東福寺の方丈庭園、
市松庭園であると知って、その作品に傾注し、
次第に深い付き合いとなっています。
そういう意味で、ユネスコの中庭の設計を任されたイサム・ノグチが、
どうしても日本庭園に拘ったのも、不思議ではありません。

 そして、実はここにもう一つの美術館があることを
ご存知でしょうか?
それは、庵治の流スタジオの近くにあり、
和田精密歯研株式会社が経営する
「歯ART美術館」です。
最近は、企業ミュージアム社会貢献コンテストで、
奨励賞を受賞しています。

 和田さんとは縁あって、お話したことがありますが、
和田さんの若い頃の苦労話は、胸にジーンときます。
私たちが忘れかけているものを、和田さんのお話を聞いていると
思い起こさせてくれます。
人間にとって何が一番大切なものなのか、
ほんとうに含蓄のあるお話を、聞かせてくれます。
もし、機会がありましたら、ぜひ聞いてほしいお話です。

  ○「歯ART美術館」
   http://ha-art.com/

 2階展示場には、およそ500台のカメラが置かれています。
また、歯に関する展示もあり、なかなか興味深いです。
また、3階では、世界の児童の絵を展示しています。
4階は企画展示室ですが、
現在は、「みやこうせい」さんのルーマニア民俗写真展
~ヨーロッパの隠れ里~を開催しています。
みやさんは、ルーマニア人の気質にほれ込んで、なんと
127回もルーマニアを訪れています。
7月26日(日)には、「みや」さんの講演も開催予定です。

  ○「みやこうせい」さんのルーマニア民俗写真展
    http://ha-art.com/event/index.html

 7月27日まで、開催していますので、
またお出かけください。

 また、近くには建築家若林一色さんの経営するホピ村があります。
一度若林さんとお話したことがあります。
若林さんが言うには、
日本の建築家は、建築オンリーのデザインしかしてこなかった、
そして、最近になってようやく
景観と言う大切なものに気づいてきたのではないか、
ヨーロッパの建築家は、建物だけに限らず、
車、時計などあらゆるもののデザイナーでもあり、
この違いは大きいという若林さんのご指摘は、
お話していて納得できます。

 ホピ村のお店は、竹炭の香りがよくて、
瀬戸内海を背景に、ほんとうに心底からリラックスできるカフェであり、
また、着衣のままの竹炭サウナルーム、マッサージルームなどがあります。
ぜひ、お出かけください。
ほんとうに仲のいいご夫妻で経営されています。
 
  ○ヒーリングスポット ホピ村
   http://hopimura.info/

 歯ART美術館からも、ホピ村からも、
素晴らしい瀬戸内海が一望できます。
まさに天国です。
癒されたい方、ぜひお越しください。
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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島左近

島左近は、安土桃山時代の武将で石田三成の家臣

筒井氏の家臣であった時代は、松倉重信(右近)と並んで筒井氏の両翼と目され、「右近左近」と称され、また石田三成の家臣であった時は「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの人物。

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