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(53)ソムリエ 田崎真也 と 彫刻家 流政之

先週の木曜日8日に、今年初めてのごみ拾いをしました。
意外と暖かく、風もほとんどなく、
冬としては、ごみ拾いには最高のコンディション(?)でしたが、
実は、路上にはほとんどごみが落ちてなく、
いつもは1時間くらいで、ごみ袋3枚がいっぱいになるのに、
その日は、1枚分がいっぱいになった程度。

 あとでわかったことですが、毎月第一木曜日は、
朝8時から30分間、中央通りの一斉清掃があるようで、
高松市役所や沿道の企業から有志が参加して行っているようです。
1ヶ月に1度はあるとは聞いていたのですが、
それが、第一木曜日だったのですね。
忘れていました。
道理できれいな歩道や植え込みでした。

 一斉清掃に参加した皆さん、お疲れ様でした。

●観光客から、「ありがとう・・・」など感謝の言葉を!
 10日の土曜日は、まち歩きのシンポジウムが
善通寺市にある重要文化財の「旧善通寺偕行社」で開催されました。

 この旧善通寺偕行社は、
日清戦争後の1896年(明治29年)
陸軍拡張ということで、当時の善通寺町に開設された
第11師団の将校たちによって、
明治36年5月10日に竣工されました。

 この竣工の年の10月13日に、
実は、東宮(後の大正天皇)が、行啓の休憩所として
使用されていますが、なんとこの行啓の機会に、
東宮は、栗林公園の掬月亭に、異例の4連泊をしているのです。
栗林公園が、世間に再度認知され、整備をされ、
その後明治末から大正にかけての
当時の教科書に、「日本に3名園あるが、栗林公園が木石の雅趣優れり」と
記述されたのも、この東宮の異例の4連泊が大きな起因となっています。

 もちろん、掬月亭は、宿泊所でも何でもありません。
皇族が、ましてや東宮が泊まられるのは異例の異例です。
当時、皇室関係者は、軍部施設か、地方の大規模旅館、地方公共団体が
管理なする宿泊施設などに泊まられるのが通常で、
栗林公園のような宿泊施設でもないようなところに泊まるのは、
施設面から言っても、また警護する管理面から言っても
ふさわしいものではなく、いったい誰の進言によってこのような場所に
泊まるようになったのかは、大きな謎となっています。
このことについては、現在いろいろ調べていますので、
またわかり次第、ご報告させていただきます。

 「旧善通寺偕行社」は、
木造平屋の建物で、長さは約42m、南側に庭があって、
建物と一体的な庭があります。
 
 「旧善通寺偕行社」は、戦後はアメリカ軍やオーストラリア軍の
社交場と使用されたこともありますが、昭和29年からは、
善通寺市役所、そして公民館などとして使用され、
最近は、善通寺市立郷土館として使用されていました。

 ちなみに、館内にあります「かふぇ 偕行社」のコーヒーは、
お店の雰囲気もあって、とってもおいしいし、
多くの方から最近よく耳にしています。
よろしければ、またお立ち寄りください。

 話はかなり脱線しましたが、
10日の土曜日に開催されたまち歩きのシンポジウムには、
県内のまち歩き関係者を中心に、約100人の方に集まっていただき、
ふるさとに対する熱き思いを語っていただきました。

 私も、現在ガイドさせてもらっていますが、
その楽しみが、新たな人との出会いの場であり、
異文化コミュニケーションとの出会いでもあると身をもって感じていますので、
まち歩きの方の地域に対する思いは、よくわかります。
中途半端ではなく、なるほどと感動させられることしばしばです。
さぬきの地域には、全国区の歴史上の人物も、いきなりその地域と
関係があったりして、眼からうろこが落ちることも珍しくありません。
さらには、このまち歩きの多くは、ツアーガイドの魅力も加わって
期待以上の体感ができますので、ぜひ、
この春から始まる「てくてくさぬき」の
まち歩きにもぜひご参加ください。
素敵なガイドさんたちとの出会いも皆さんにお勧めします。

 今年は、4月から、
ふるさと香川の素顔を見ていただき感動してもらう
まち歩きと伝統文化などを組み合わせておもてなしして
滞在型観光に結び付ける「てくてくさぬき」に
多くの県民が参加して、開催します。
 地域住民が、地域のよさを見直してまち歩きガイドを通じて、
大勢の皆さんに感動を与える「まち歩き」と
地域の方たちは、意外と気がついていませんが、
地域で伝統的に継続されて実施されている伝統文化イベントなどにも
実は大勢の観光客がバスツアーなどで訪れており、
根強い人気があるのです。
 香川町のひょうげ祭りや、豊浜や大野原、観音寺のちょうさ祭り、
小豆島の中山や肥土山の農村歌舞伎など、
県民の方よりも県外の方がそのよさを理解しており、
そういうような例は、出せばきりがありません。
なんとか一工夫二工夫して、滞在時間を少しでも長くして
1泊以上していただけるようなくシステムづくりを
構築しなければいけないと考えているのが、
この「てくてくさぬき」なのです。
まさに、「てくてくさぬき」は、地域住民を巻き込んだ、
県土全域を舞台にしたものです。

 「ワクワク模様とドキドキ模様、巡ってみれば新発見!
09(まあるく)香川まちめぐり」の
キャッチフレーズどおり、展開しますので、ご期待ください。
詳細が決まり次第は、今後どんどん情報発信していきますので、
皆さんもその都度、お知り合いの方への情報再発信、
よろしくお願いします。

 そして、肝心なことは、お金を支払っていただく観光客の皆様から、
「ありがとう・・・」など感謝の言葉を、少しでもいただけるような
おもてなしで観光客の皆様をお迎えできればということです。
そして、そのおもてなしを観光関連事業者だけではなく、
県民にも広げられればと思っています!

 普通は、お金を受け取った観光関連業者の方たちが、
「ありがとうございました!」というのですが、この場合は、
お金を支払っていただく観光客の皆様から、
「ありがとう・・・」など感謝の言葉をいただくことなのです。

 実は、このような思いで、職業に就いた方は、
38歳の時に世界ソムリエ大会で優勝しました田崎さんですが、
彼は、若い時に両親が離婚して苦労していた時に、
アルバイトの厨房で、自分自身が調理した得意のチャーハンを
お客様に提供したところ、会計時にそのお客様から
「とってもおいしいかった、ありがとう!」と言われたことに
大感動して、それがソムリエ社会に入るきっかけとなったことを
彼は自伝に記載しています。
世界にチャレンジでも、いつもこのことは頭から離れず、
現在ももっとも気にかけていることだと述べています。

 私の執務机の後ろの壁には、課の今年の目標のひとつにと
掲げさせていただきましたが、ぜひこの運動をできるだけ大勢の方に
理解していただき、実践を県下に広めたいと思っています。
皆さんもよろしくお願いします。


●竹橋麺通団
 モスクワからお便りいただきました。
ふるさと香川出身で、外国に住んでいる方で、世界に向けて
香川の情報発信をお願いしている香川アンバサダーのうちのお一人で
サハリン石油ガス開発(株)モスクワ事務所の松原様からです。

 松原様は、総合商社丸紅の出身ですが、
現在モスクワにおいて、香川の情報発信に努めていただいています。

 丸紅本社の場所が地下鉄の竹橋駅にあるので、うどんが大好きな
香川出身の社員で、「竹橋麺通団」を結成しています。
ということで、今月1月号のの社内報の特集記事が、
なんと「讃岐うどん」ということでした。
紙媒体ではなく、社内用のWEBサイトで見れるものですが、
松原様を含む、丸紅社内の香川出身の5名の方が記事を書かれています。
東京近辺の讃岐人が評価する「うまいうどんやさん」の紹介です。
ほんとうにうれしい話でした。


流政之展が開催されています!ぜひご覧ください・・・
 流 政之氏と言えば、
長崎県出身、1923年2月14日生まれ、今年で86歳の大彫刻家。
バレンタインディに生まれたのですが、
持ち前のダンディズムで、女性には大人気です。

 素材の石を探しに四国に渡り、
日本3大石産地の庵治に立ち寄ったのが、香川とのかかわりの最初です。

 1966年に香川の庵治にナガレスタジオを開設して、
はや43年目になります。

 かつて1967年、タイムズ紙に、
黒澤明、三島由紀夫、川端康成、丹下健三とともに、
日本を代表する5人のうちの一人ということで、取り上げられたことがあり、
また、NY世界貿易センタービルの広場にも
「雲の砦」(1975年製作、10m×4.3m×5m)がありましたが、
911事件で人命救助優先ということで、崩壊したビルの中で
崩れずに残ったにも関わらず、救助のための重機械搬入ということで
人為的に壊されてしまったという悲運の芸術家でもあります。
「テロにせよ、彫刻を壊すことの強い力があったとしても
 その彫刻をつくったものと。その彫刻に触れたものたちの歴史は
 消しさることはできないものなのである」という有名な言葉を
彼は残しています。

 また、彼の作品は、MOMA(NY近代美術館)にも
パーマネント作品として、いくつか買い上げられています。

 さらに、1963年には、ニューヨークの世界博で、
庵治の自身が作った「石匠塾」のスタッフを同行して
重さ600トンの石の壁画「ストーンクレージー」を
制作しています。

 香川県内至るところに彼の作品があります。
瀬戸内海の絶景が臨まれ、内臓を抉り取ったかのような
サキモリが海を哀しく見つめているナガレスタジオは言うに及ばず、
サンポート高松の「MATAKITENO:またきての」や
JR高松駅[DAITEMMAI:だいてんまい]、
瀬戸内海の絶好のロケーションが見渡せる五色台にあり、
香川のブランドイメージポスターにもなっている
「MATAKIMAI:またきまい」、
金沢21世紀美術館のもとになったと言われている
高松市美術館のフォワイエにある「流れバチ」は、
末広がりの彫刻ですが、影の彫刻の意味として、
黒タイツを身に着けた生命を産み出す女性の下半身とも、
流氏は説明しています。

 また、流氏は、海軍のゼロ戦パイロットとして、
特攻隊に志願したものの、
裏千家の前千宗室とともに、将来生き残って
新しい日本を作るために生き残らなければならないと、
特攻選抜から意思に反して外され、
千氏とともに、大空に散っていった同僚に対しての申し訳なさを
抱えて生きてきたのですが、
北海道で、2人が運命の再会をして、
流氏の彫刻の近くで、野点で、千の手前でお茶をいただいた
感激のニュースも耳に新しいことであります。

 これほどの流氏の作品を集めた大規模な展覧会は、
久しぶりですので、ぜひ大勢の皆さんのお出かけを期待します。

 11日の日曜日には、美術館1階で、
流政之トークショーが開催され、
多度津で活躍する彫刻家速水史朗氏との
「何しよんな高松」も開催されました。
講堂に入り切れないくらい大勢の方(約280人)が参加されており、
根強いファンの存在を実感しました。

 流氏が、彫刻の道に進んだきっかけになったのは、
1956年頃の北陸旅行だったと思われます。
亡き子供の供養のために、お地蔵様を立てていた母親にあったことです。
石のお地蔵様は、冬場に凍って首が折れてしまうということを聞いて、
それなら首の折れないしっかりした石のお地蔵様を作ってあげようと
思いたったのでした。
若いときの刀鍛冶の経験がそう思わさせたかもしれません。
そして、次第に石の魅力に取り付かれてしまったようです。

 素材の魅力をそのまま生かす手法であるワレハダも生まれました。
作品の形を決めるのは目ではなく手触りと言うのが、流氏の持論です。
サキモリシリーズや、女性の美を追求するピリカシリーズは、
流氏独特の造形です。
作品は、どうか展覧会でお楽しみください。
 
 トークショーは、にぎやかでした。
流氏、速水氏
お二人とも、80歳代で、とってもお元気です。
わざわざ流氏の出身地である長崎から来られた方もいました。

 トークショーのお2人のお話で興味深かったことだけ、
メモしておきます。

○明治・大正期の上野の森は、讃岐弁でにぎやかだった。
 戦前の東京美術学校には、香川からは著名な数多くの彫刻家を輩出。
 ロダンの晩年の助手をしていた藤川勇三
 高松市中央公園に置かれている菊池寛像や
 玉楮象谷像の作者である新田藤太郎(にった とうたろう)など
 精鋭の集まりだった。
 (ちなみに戦後は、美術系よりも音楽分野で素晴らしい人を
  香川は輩出しており、特にフルートでは他県の追随を許しておらず
  現在も、上野の山は讃岐弁でにぎやかとは私のコメント)

○石工を、石匠(せきしょう)に変えた。
 庵治の石工は、墓石を作っているために高松にきても、
 民家の玄関から中には入らせてもらえなかった。
 それではいけないということで、石工の地位をあげるために
 新たに「石匠」なる名前を産み出し、自ら石加工技術者を養成するために
 「石匠塾」を主宰。

○流氏コメント
 地方の用心棒でありたい

○牟礼や庵治の語感は、アイヌ語の響きである。

○石の魅力
 流氏:歳をとらない、人を裏切らない(だから墓石に)
 速水氏:石は優しい、土は一見やわらかく見えて実は冷たい
     土は、乾燥すると、縮んだり割れたりして扱いにくい

○さぬきの食文化
 両氏とも同じ意見
  さぬきうどんを安く売りすぎ
  いいものでおいしいものなのだから、もっと高く売っていけるような
  工夫が必要。(そばは、高く高く売り出している)

○その他
  若い人は、どんどん作品を具現化しなさい。
  作品を買ってあげることが何よりの応援・・・

 ともかくお元気なお二人でした。
流氏は、現在、瀬戸内寂聴さんの記念碑を制作中だと
伺っています。

 展覧会は、2月8日まで開催されています。
今回の展覧会では、日米の戦没パイロット追悼のために
作った作品のひとつである、木を素材にしました
「飛」も展示されています。
ぜひご覧ください。

竹内守善さんの切絵展が開催されています!
 サンポート高松の高層棟5階のeとぴあかがわでは、
1月22日まで、竹内守善切絵版画事始展が開催され、
県広報誌「かがわ」の表紙絵の展示や、切絵の作り方などが
紹介されています。

 切絵は、世界至るところにあり、日本でも奈良時代から
祭祀用に使用されていたとのことです。
また、特徴としては、どんな複雑な造形でも、
切り離された部分がないのです。

 色付けなどはパソコンでできるようになったとはいえ、
「かがわ」の表紙になると、スタッフとのテーマ決定から始まり、
現地取材などもあってたいへんです。
また、拡大版「かがわ」の表紙をよく見ると、
その時期のテーマに沿ったように、細かいところで、
制作者竹内さんの思い入れがたいへんよくわかります。

 せひとも、この機会に訪れていただき、
素晴らしい切絵を見ていただくといともに、
制作者竹内さんの熱い思いも、作品から感じ取っていただければ
幸いです。

 お勧めの切絵展です。

 あわせて、3階のかがわプラザにもお越しください。
特に南側のかがわ発見ゾーンは、掲示されてあるパネルをよく読めば、
香川のまだまだ知らないところが発見できます。
ただ、1回見ると、リーピーターを呼ぶには、厳しい内容です。
なんとか創意工夫をして、多くの人にきてもらわなければいけません。
一度またお立ち寄りください。
よろしくお願いします。
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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