スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(3)1月14日 発想の転換も大切です!

3連休の方は、お正月気分から抜けきる
いい機会のお休みだったかも知れませんね。
しかし、期待した雨も、それほど降らず、
厳しい水環境は続いています。
節水や省エネ活動に、常に心がけなければいけません。

 寒く冷たい日々が続いています。
インフルエンザ、ノロウイルスが流行っています。
くれぐれもお気をつけください。

 HPAI(鳥インフルエンザ)も、
人類が今後解決していかなければいけない大きな問題となってきています。
世界で既に200人以上が亡くなり、
昨年も、中国南京市、亡くなった息子から父親へ感染し、
父親もまた亡くなったという、人から人への感染例が
報告されています。
 防疫の初期活動を誤れば、被害は一挙に拡大し、
数千万人の命が失われるという怖い予測もあります。
防疫体制には、畜産課を中心に万全の策を講じていきますが、
皆さんのご協力も必要な時がきましたら、
よろしくお願いします。
 ただ、こういうことは、協力依頼がない方がいいのであって、
そういうような状態にならないように、お祈りください。

●マスコミ関係者の栗林公園ガイド
 昨日の月曜日は、
マスコミ関係者対象の、栗林公園ガイドをさせていただきました。
10時スタートの2時間コースとなっていましたが、
結局は、14時過ぎの4時間を超えるガイドツアーになってしまいました。

 お昼ごはん忘れて、熱心にガイドを聴いてくださいましたが、
公園の奥の深い素晴らしさについての印象度は、思った以上によくて、
最後まで熱心に話を聴いていただきました。

 ガイド中は、公園だけでなく、
瀬戸内海や農産物、食べ物、自然など、
県内の素晴らしい宝もののお話もしながら、
ガイドさせていただきましたので、話の脱線も多かったですが、
他の宝ものも、今後取材したいとの申出はたいへん心強いものでした。

 栗林公園は、多くの県民の方が気づいていない、
県内のすばらしい宝もののひとつの象徴です。
私が公園ガイドをさせてもらっているのは、
まずは、栗林公園のよさをもっと多くの皆様に知っていただきたく、
魅力に触れていただき、自信と誇りを持って元気になって欲しいのですが、
公園以外にも、実はまだまだ素晴らしいものがあるということも
言いたくてガイドしている面もあります。
 
 今回のガイドは、そういう意味で、私の考えをよく理解していただき、
たいへんうれしく、私自身があっという間と感じた4時間でした。
これからも、多くの貴重な情報が、
テレビやラジオ、新聞、雑誌などを通じて、
発信されることを期待しています。

 いいものがあれば必ず売れるという時代ではありません。
いいものの存在は不可欠ですが、どういう風に情報発信していくのかは、
これも戦略の問題として考えないといけません。
そこには発想の転換が必要です。
 お金で人の気持ちを動かすよりも、
情熱で人の気持ちを動かすことの強さ、痛感しています。


 生意気言うようですが、皆さんの仕事にもぜひ活かしてください。
お願いします。

●先週号メールのお詫びについて
 
 申し訳ありません。
先週のメール、時間がなくて十分な見直しをせず送信してしまったところ、
やはりこういうことは今後十分注意しなければいけないと思いましたが、
案の定、基本的なミスがありました。
 その結果、ミスを教えていただきましたリプライメールが30通を超え、
初歩的なミスに穴があれば入りたいくらいの恥ずかしさと
しかし、多くの方がしっかりと読んでいただいているということで
うれしさもひとしおで、複雑な気持ちでしたが、
でもたいへん感謝しています。ありがとうございました。

 中には、データあるいはプリンアウトしてきちんと
保管していますという驚くようなうれしいメールもいただき、
ありがたいことだと思っています。

 今後もメール内容につきましては、慎重にチェックしますので、
よろしくお願いします。
 また、これに懲りずに今後も読んでいただくとともに、
気になることがありましたら、ご遠慮なくご連絡ください。
間違っていたり勘違いしているものにつきましては、
直ちに修正させていただきます。

 先週号の間違いと正解は以下のとおりです。

①今年千年紀を迎える「源氏物語」の作者は、紫式部
 (清少納言ではありません)
 恥ずかしいかぎりです。

②琳派の代表者は「尾形光琳」が正解
 間違って緒方とか尾方ともバラバラに書いていました。

③金刀比羅宮 書院の美展で展示されている作品の作者は、
 若冲と応挙とそして、岸派の岸岱らです。(月岱ではありません)

 うっかりミスもこれだけ重なると、恥ずかしいです。
保存されている方は、修正のうえ再保存してください。


 ところで、清少納言といえば、「枕草子」。
この時期、夜空の星を眺めてみると、
誰にでもよく分かる長方形と三つ子星のオリオン星座がくっきりと南の空
仰角70~80度くらいのところに見えます。

 その近くに見えるのが、狩人オリオンを狙っている
おうし座で、その牛の左肩にあたるところが、
枕草子や谷村新司さんの歌で有名な、「すばる(昴)」なのですね。 
特に、清少納言は、「枕草子」で、
「星はすばる、ひこぼし、ゆうづつ、よばひ星、少しおかし・・・」と
述べて有名です。

 というわけで、すばるは、実は日本語です。
(ひこぼしはわし座のアルタイル、ゆうづつは金星、よばひ星は流星と
 一般には解されています。)

 「すばる」は、1つの星ではなく、
多くの星が集まった星団(プレアデス星団)で、
そのいくつかは、肉眼でもよく見えるとは言われていますが、
あのあたりという感触は以前から持っていますが、
実は、星が見えるかといえば私にはなかなか見えないのです。

 すばるは、私の記憶だと、
およそ400年前の光がようやく地球に届いて見えているわけですので、
徳川家康が見たすばるが、当時はまだ存在したということが
400年後の今になってわかったのですね。
 今見ているすばるも、無くなっているかどうかは、
400年後に判明するのですね。

 人間の世界って、悠久の宇宙に比べればほんとうにちっぽけです。
だから、たまには気分転換に、夜空の星をご覧ください。
オリオン座の近くにあるおうし座の一等星である
アルデバランはそれは美しく輝いていますよ。

●香川県歴史博物館で、お庭の国宝「栗林公園」展示会開催中

 栗林公園、400年近い歴史を持つ由緒正しい天下の名園ですが、
実は、江戸末期の京都鳥羽伏見の戦いで、当時の官軍に、
戦いを挑み、真っ先に鉄砲を打ち込んだということで
明治には、賊軍の扱いをうけています。

 だから、明治8年に県立公園にはなったものの、
県(讃岐)自体が、徳島や愛媛にくっついては分かれたりしていたのですから、
公園も十分な手入れもできていなく、また略奪にもあったりして、
おそらく30年近くは、荒廃した庭であったわけですが。
どうしたことか、明治30年過ぎから、
本格的な復興が始まりました。

 荒廃した賊軍の庭が、わずか40年足らずで、
日本一の大名庭園として復活したのはなぜなんだろうと
公園に少し関心のあるなら、誰でもいだく疑問です。

 その解明のヒントになる展示会が、
香川歴史博物館で開催されていますので、
ぜひ一度足をお運びください。

http://www.pref.kagawa.jp/rekihaku/tennrannkai/bumonten/01/bumon1.html

 今、香川県歴史博物館の3階 松平家歴史資料室で、
お庭の国宝として親しまれ、世界一の回遊式大名庭園の
高松藩主松平家の下屋敷であった別荘=栗林荘が、
明治6年の太政官布告により、
明治8年に県立公園となって、幾多の整備を経て、
現在に至るまでの栗林公園の変遷について、
興味深い展示品(公園の案内図や写真資料など)によって、
紹介されています。

 構成は、
 第1部 「公園」前史
 第2部 「公園」整備・改修の歴史
 第3部 名所としての栗林公園  となっています。

 中でも、1700年頃の栗林荘(現栗林公園)の古絵図は、貴重で
そこに既に、現在の掬月亭(星斗館)が描かれています。

 また、栗林公園が「木石の雅趣、三名園より優れり」と褒め称え、
日本一(ということは世界一)の大名庭園と言われる根拠になっている
高等小学読本 巻一(明治43年(1910)が、展示されています。
そこには、倫敦(ロンドン)のハイドパーク、
巴里(パリ)のボアドブーロニュ、
伯林(ベルリン)のチーアガルテン、
紐育(ニューヨーク)の中央公園(セントラルパーク)など、
世界の代表的な庭園も列挙紹介されています。
貴重な資料なので、ぜひ本物をご覧ください。

 皇太子の行啓や名勝指定などを契機に、
香川県内の名所として定着していく過程が紹介されていますが、
ミステリアスな謎もまだまだたくさん残されています。

 2月24日(日)(9時~17時)まで開催されており、
会期中、月曜日は閉館日ですが、特別展開催中の金曜日は
19時30分まで開館していますので、ぜひご覧ください。

 先日、私は、キュレータである野村さんの解説を1時間半に渡って
聞かせていただきましたが、新しいことも仕入れてきましたので、
その代表的なものをご紹介させていただきます。

①現在の北門付近にある「栗林公園石碑」の謎

 公園現北門は、江戸時代は、正門でありました。
その北門内のすぐ南には、県立公園になったことを記念して、
幕末時の儒官であった山田勝次(梅村)が、公園の趣旨と沿革、景観などを
書き表した栗林公園の石碑があります。
上部の篆額は、当時の太政大臣の三条実美の書によるものです。
 
 実は、その石碑が最初に設置されたのは、
現地点ではなく、東門から入って西へ30メートルほど進んだところに
建立されていたことが、展示されている資料1894年(明治27年)の
「香川県栗林公園真景(しんけい)」でわかりました。
 
 これはどういうことなのでしょうか?

 江戸時代は、東門は、切手(きりて)御門でした。
切手とは、当時の通行手形のようなもので、そこを通るときに、
この切手を見せて通行ができたようで、
主に招待客や御用人の通用門だったと考えられていたのに、
どうしたことでしょうか?
 北門周辺は、十分な手入れもなされず、
かなり朽ち果てていたのでしょうか。
また、石碑には、北門が公園裏門と表示されています。

 謎ですね。

 この「香川県栗林公園真景(しんけい)」の中に、
おもしろい記述があります。
 解説文の中で、地元の人が見慣れて、
賞賛しないことを嘆いているのです。
今と同じことが既にその時から言われていたのですね。

②なぜ、東門周辺には、かつて高松市立美術館があったのでしょうか?
 現在は、栗林公園内には高松市立美術館はありません。

 実は、日銀高松支店の跡地に移設するということで、
栗林公園東門付近にあった高松市立美術館が
現地点の街中に移築されました。
(今、人気を博しています金沢21世紀美術館は、実は、
 現在の街の真ん中にある高松市立美術館の存在を、
 金沢市長が知り、ヒントにしたとも言われています。)

 余談ですが、
日銀の跡地に立ったものですから、館内には、
当時の日銀の建物の入口の一部が残されています。

 昭和24年、実は戦後のいち早い復興を祈って
高松で、高松市制60周年を記念して
観光高松大博覧会が開催されました。
第1会場は、中央グラウンド(現在の中央公園)
そして、第2会場は、栗林公園でした。

 栗林公園内では、会場として、園内に科学館を建設。
当時は、テレビや電子顕微鏡などが展示されました。
3月19日から、5月21日まで開催され、
57万人という空前の人出となったようです。

 博覧会も終わって、それが高松市立美術館になったようです。
 高松市立美術館の移転で、
建物を壊した跡やその周辺を整備していたところ、
日本で最大規模の長さと幅の遺構を持つ現在の鴨引堀を見つけ、
瀬戸大橋開通できていただいた多くの方の入園料をためて、
それを原資に再現しました。

 ちなみにまた余談ですが、
かつて、中央公園内の北東側にかまぼこ型の建物がありましたが、
実はあの建物は、高松市立体育館だったことはご存知だった方も多いと
思いますが、その建物も、もとはといえば上述しました大博覧会の
メイン館国産館だったのですね。

③商工奨励館とは?
 商工奨励館は、明治32年香川県博物館として建設されました。
1階の屋根の瓦の先に、「博」という漢字がはっきりと
現在でも読みとれます。

 2階にはベランダもある和洋折衷の立派な建物ですが、
ガイドすれば、必ずなぜ園内に博物館と疑問を受けます。

 どうも、当時は文字通りの博物館ではなく、
館内は、農業部、工業部など4部門に分かれており、
どちらかというと、物産展示場と理解すればいいようです。
明治36年には、香川県物産陳列所に改称されています。
また、図書閲覧所もあったようです。

④大正天皇が皇太子時代に、高松を行啓して公園が大人気に!
 明治36年、大正天皇が皇太子の時に、
当時の掬月亭に4連泊したことで、俄然栗林公園の価値が上がり
その後、大勢の観光客が訪れた、天皇家ゆかりの場所と当時の新聞には、
大きく記事が書かれています。
当時もやはり皇族が訪れると、その土地の価値もあがったようです。
当時としては、皇族の方が行啓で泊まられるのは、
旅館などよりも、県庁などの役所の公の施設や、軍隊の施設、
かつての大名だった名家の大きなお屋敷が多かったようです。
お付きの人も多かったので、仕方なかったようです。
だから、掬月亭のような場所に泊まることは珍しくなかったようですが、

 なにせ荒れ果てていたような場所、
そのための修理などがたいへんだったようです。
また、多くの人は泊まれずに、公園の周辺に泊まったようです。

 また、訪問先も高松だけでなく、ずっと近県を回っていたようですが、
高松に4連泊というのは異例であり、
また十分な設備もない施設に宿泊とは、驚かされます。

 それも、実は、ほんとうはそれをさかのぼる3年前の明治33年に、
行啓の計画があったようですが、皇太子急病のために延期となって
今回の行啓となったようです。

 そういえば、栗林公園内に植樹もしている現エリザベス女王の
おじさんにあたるエドワード8世
(訪問時は、プリンス・オブ・ウェールズ)は、
高松城のあった現玉藻公園内の披雲閣に宿泊されています。
 栗林公園は、荒れ果てていて整備が十分でなくても
魅力が溢れていたようですが、この大正天皇の行啓を機に、
一気に園内整備が進んだということだそうです。

 個人的には、現商工奨励館である香川県博物館が整備したときから
整備が進んだものとガイドしてきましたが、
このあたりは多少もう一度勉強しなおさないといけないかもしれません。
ちなみに、北庭にある4休憩所(枕流亭=ちんりゅうてい、
紫明亭=しめいてい、香風亭=こうふうてい、
瞰鴨閣=かんおうかく)は、
そのときに整備されたようです。

 それにしても、誰が、大正天皇が皇太子の時に、
あるいは、プリンス・オブ・ウェールズ公に、行啓先として
栗林公園を勧めたのか、わかっていません。

 香川県博物館 竣工     明治32年
 大正天皇が皇太子の時に行啓 明治36年
 北庭改修着手        明治44年(大正2年にひとまず完成)
 ウェールズ皇太子      大正11年

 大正時代になって、鉄道網の整備が進み、大観光ブームが
起こったのは事実です。

 次回は、担当学芸員による展示解説(ミュージアムトーク)が
2月2日(土)13時30分からありますので、ぜひそれに併せて
お出かけください。


●あんさんぶっかけ さぬき座 のメンバー 知事表敬訪問

 コンサートの翌日の7日の月曜日に、
さぬき座のメンバー7名全員が
知事表敬訪問しました。

 文化芸術振興を目指す県としては、
香川出身の若手芸術のふるさと香川へのやさしい思いはうれしく
そしてとても頼りになります。

 貴重な20分で、知事も終始にこやかに話され、
若手音楽家への期待度も十分でした。
若いメンバーの中には、以前に知事に会っている方もおられましたが、
しかし当初たいへん緊張していましたが、
知事の気さくな人柄にすっかり打ち解けて
話も弾みました。

 2010年には、
ベネッセとともに瀬戸内国際芸術祭を計画している県としては、
美術だけではなく、音楽でも文化振興していくことが肝要であり、
彼らが大きなサポータになることは間違いありません。

 知事の話の中で、
なるほどと思ったことがありましたのでお知らせします。

 知事は、初詣に金刀比羅宮に出かけられたようですが、
初詣客は、3日間で20万人。
確かにコンサートの場所を設定して、お客様を迎え入れることも必要だが、
逆の解釈で、人がお客様がたくさん集まるところに
こちらから出かけていき、そこでコンサートを行う
いわゆるストリートミュージシャンで、
名前を知ってもらうことも必要ではないかとの考えは、
なるほどと思いました。
これもまさしく発想の転換ですね。

 それは、なにも彼らだけに言っているわけでもなく、
私たち行政マンにも言えることだと思いますが、どうでしょうか!

 彼らには、これからも数多くの活躍の場所があると思います。
ぜひとも、あんさんぶっかけ さぬき座のことを覚えていただき、
応援してあげてください。

 ふるさとを離れて、若い人たちが、ふるさとを誇りに思って
何かふるさとのためにできることはと、考えていただくその熱い情熱こそ、
尊いものですし、応援もしてあげなければいけないと思いました。
よろしくお願いします。

 あんさんぶっかけ さぬき座のメンバーをご紹介します。
以下の7人です。
 座長 ・サキスフォーン  國末貞仁(くにすえ さだひと)さん
    ・パーカッション  小松玲子(こまつ れいこ)さん
    ・クラリネット   井上 梨江(いのうえ りえ)さん
    ・コントラバス   多田 育代(ただ いくよ)さん
    ・ピアノ      大堀 晴津子(おおほり せつこ)さん
    ・フルート     赤木 香菜子(あかぎ かなこ)さん
    ・ヴァイオリン   筒井志帆(つつい しほ)さん
 
 今後ともよろしくお願いいたします。
 
香取村(香取開拓農協)のヨーグルトおいしかったです!

 1月14日の昨日まで、高松三越店で、
「鳥取・島根の第4回山陰の味と技めぐり」が開催されていましたが、
職員の電子掲示板にアップしましたせいか、
何人かの職員の方に会場でお会いしました。
わざわざお越しいただきありがとうございました。

 「香取村」香取開拓農協の「飲むヨーグルト」は、
3種類発売され、すべて購入しましたが、
プレーン味は特においしかったです。

 電子掲示板を繰り返すようになりますが、
香取村は、昭和21年に香川県出身の旧満州開拓団の人々が
中心となり、鳥取に入植して作り上げた村で、
二つの県名に因んで香川県の“香”と鳥取県の“取”をあわせ、
“かとり”と名付けられました。
 現在は、花と緑あふれる酪農の村となっていますが、その長い歴史は
私達の想像を絶する、様々な苦労・困難との闘いでした。
 厳しい気候、思うように進まない開拓作業、酪農産業への挑戦、
次から次へと“嵐”が押し寄せてきます。
 しかし、香取村の人々は決してくじけませんでした。
「村づくりは100年」を合言葉に一致団結し、お金や物を得ることを
目標とはせず、自然や生活の豊かさを尊重して村づくりを続けました。
 その努力が評価され、昭和63年には国土庁が主催する
第3回農村アメニティコンクールで最優秀賞に輝き
「日本一の村」になりました。
 入植61周年を迎えた現在も、文化人村構想の実現、
高冷地野菜の栽培など、新たな夢に向かって挑戦が続いています。
 香取と出身地の綾歌地区では、毎年交流を重ね、
相互の農産物の販売、うどん作り体験教室、地域の伝統芸能披露など
草の根活動を継続的に行っていますので、
今後とも応援よろしくお願いします。

 また、「香取村」展を、
2月4日から15日まで、
昭和33年に竣工され今年50年目を迎え、
設計者丹下健三を世界の丹下と言わしめたメモリアル建造物であります
県庁舎東館の1階ギャラリーで開催しますので、
ぜひ時間を見つけて、のぞいてみてください。

 今回の展示でも、昨年の県立図書館での展示に引き続き
香取村の歴史や文化を紹介し、
村の人々の「不屈の精神」と「開拓魂」、そしてたくましい「自立」に
触れていただきたいと思います。
 生活が便利になり、モノがあふれ、心をどこかに置き忘れかけている
この時代に、真に大切なものは何であるのか、香取村の人々から
たくさんのことを学べればと思います。
 よろしくお願いします。
スポンサーサイト

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

非公開コメント

ブログ内検索

与一ブログ全記事表示

全ての記事を表示する

記事アーカイブ
讃岐電光掲示板
カテゴリ-・リンク
にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村 トラコミュ 高松松平藩へ
高松松平藩
にほんブログ村 トラコミュ 日本庭園へ
日本庭園
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村 トラコミュ 日本の文化へ
日本の文化
四国の人気ブログ

FC2Blog Ranking

関連 リンク集
NHK 時計
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
国盗りカウンター
FC2カウンター
頑張れ ! 琴平電気鉄道 !!
映画DVDファッション雑誌無料ブログパーツ
記事へのコメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

トラックバック
プロフィール

与一の矢

Author:与一の矢
讃岐の扉!ふるさとに潤いを !!

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。