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(116)高松松平藩,最後の藩主 !

二十四節気では、
4月5日に「清明」を迎えました。
「万物ここに至り皆潔斉なして清明なり」
すべてに芽吹きが始まり明るく清らかな季節です。

 七十二候では、
清明の次候の鴻雁北(雁が北に渡って行く)の候から、
末候の虹始見(雨の後に虹が出始める)の候への移り頃です。

 栗林公園では、春のライトアップ特別追加2日間も、
9日、10日と天気にもどうにか恵まれ、合計12日間無事終了しました。
期間中は多くの花見のお客様にご来園いただき、
ありがとうございました。
園内を巡回する折には、花見をしている多くのお客様にご来園のお礼を
失礼とおもいながら、座の近くまで寄って述べさせていただきましたが、
ほとんどの皆さんが、満開のサクラの下
満面に笑みを浮かべて、幸せそうでした。

 ほんとに平和な日本です。感謝しないと罰があたります。

 4月に入り、栗林校区コミュニティガイドグループ、
イギリス日本庭園協会ご一行、JC高松青年会議所リーダーなど、
多数のガイドをさせていただきました。
また、番外では、玉藻公園や、
重森三玲氏作の増井邸の茶庭や茶室なども案内させていただき、
また新たな多くの出会いをいただきました。
皆さんの素直な感想をお聞きして、改めて、栗林公園の奥深さを
実感するとともに、玉藻公園や増井邸の素晴らしさをもっとより多くの
皆さんに知っていただきたく思いました。

 また、昨年に引き続き、今年度も新採職員にもお話する機会をいただき、
栗林公園をはじめとする庭、食、自然、文化、歴史、芸能、先人など
ふるさと香川が世界に誇れる素晴らしき宝物を紹介するとともに、
実は、そういう宝物をしっかりと認識して
ふるさとの素晴らしさやそこに生まれた自分自身に
誇りと自信を持っていただき、できるだけ多くの人に
元気になっていただきたく、更には、
宝物見つけに終始することなく、
馬鹿もののような熱き情熱や、瑞々しいフレッシュな気持ちと好奇心を
持ち続け、そして、私たちが当たり前と思って見過ごしてしまっている
当たり前の日常の素晴らしさなどをよそ者の眼で教えていただくことなど
そして、それらが、
結局は、仕事や生き方の面でも大いに役立つものだと確信しています。

 また、どうしても無意識のうちに、とらわれがちな常識ですが、
常識は、ほんとうに正しいのか、普遍なのか、日本どころか
世界にも共通のことなのか、過去はどうなのか、
ほんとうに変わらないものなのかなどなど、
一度は疑って見ることによって、もしかしたら、
新たな局面が展開される場合も多々あると
感じ入っています。
このことは、実は、新採職員には寝耳に水のようでしたが、
2時間15分の講義終了後に拍手をいただいた時には、ぐっときました。
さらに数人の職員が演壇に駆け寄ってくれ、
よかったです、目から鱗ですとお礼を言われた時には、
ほんとうに話をよく理解していただき、
こちらが感謝の気持ちでいっぱいでした。

 来週21日は、県下の市町新人採用職員に対しての研修時間を
3時間いただいていますので、聴いてくれた新採職員が
「ふるさとのために頑張るぞ!」という意欲が湧くような
そんな研修が少しでもできればと思っています。


●那須幹博の 讃岐のほんまですか?
 ビジネス香川BK(2010年2月上旬号:第11回)
  シリーズ11 栗林公園3  なぜ「栗林」か、などを推理する・・・

 栗林公園は、日本を代表する大名庭園にも拘わらず、
なぜ日本三名園(兼六園、後楽園、偕楽園)に名を連ねていないのか。
またそもそも「栗林」公園と名づけられた理由は、何か。
資料をもとに推理した私の考えを披露させていただきます。

1 なぜ、日本三名園でないのでしょうか?

 高松藩初代藩主松平頼重公が家康公の孫であるなど、
徳川本家と深いつながりがあったため、高松藩の歴代藩主は、
江戸城黒書院常溜(つねのたまり)の要職を務めてきました。
しかし、その結果、実は幕末の鳥羽伏見の戦いで、会津藩など
他藩に先駆けて、最初に官軍(錦の御旗)に果敢に鉄砲を撃ち込み
攻撃してしまいました。
しかし、たちどころに薩長主体の官軍の反撃にあって
降参、新政府にとっては、高松藩は賊軍であり、高松藩の領地は
賊軍の地となりました。
だから、旧高松藩の領地には天皇陛下の行幸は
なかったのでした。(実際は、通貨だけされたという説もあります。)
(三名園は、明治初期に生まれた言葉だが、行幸の地からのみ
 選ばれたのであろうと推測されます。)

 また、香川県は全国でも一番遅く独立した県(明治21年)であり、
明治初期は将来が暗澹としていた中で、とても公園の管理どころではなく、
大正天皇が皇太子の時に来られる予定に間に合わすかのように
建てられた商工奨励館(当時は県立博物館)が完成する明治32年までは、
公園自体がかなり荒廃しており、名園にはふさわしくない姿でもありました。

 しかし、明治36年の大正天皇(皇太子時代)の訪問をきっかけに、
復興を遂げ、明治40年頃から大正時代の国定教科書の国語に、
「木石の雅趣、三名園より優れり」と紹介されています。

2 なぜ、栗の木がほとんどないのに、栗林公園なのか?
 2代藩主頼常公(水戸光圀の実子)の時に、水不足などの飢饉対策の
非常食として、栗の植栽を行ったという記録があり、古絵図にも栗木原の
存在が確認され、栗林と名づけられた考えもありますが、
初代頼重公の英公(頼重)実録には、彼が1642年に赴して
わずか1ヶ月余で、「栗林荘で遊ぶ」との記述があり、
その考えは矛盾しているようです。

 また、「栗林」という地名は、1890年(明治23年)の
市制・町村制施行時になってからのようです。
結局、私は、紫雲山=「里山」にある下屋敷だから、
「栗林荘」と名づけたと考えています。
紀元前300年頃の中国戦国時代の思想家であった荘子は、
自書の中に「山本第20章、遊於栗林」と書いています。
中国では、古くから栗林は里山です。
栗林が、元々里山の意味なら、その地名がなくても不思議ではありません。
借景である里山の紫雲山があるからこその栗林公園であると私は確信します。

 追加ですが、
◎明治中頃に、誰が、栗林公園の真の価値を見出し、
 復興に力を注いだのでしょうか!
 公園の整備、博物館の建設、国定教科書への掲載など
明治20年を過ぎてから、公園は改修工事も進み、次第に整備され
直していきます。
明治末期から大正にかけては、実に多くの皇族関係の方が
ご来園されています。

 たとえば、大正天皇は皇太子の時に掬月亭に4連泊もしています。
明治36年10月10日から、4泊5日です。
掬月亭は、宿泊施設ではないだけに、異例中の異例です。
大正天皇は、この後、善通寺市の交流サロン偕行社の杮落としにも
出席しています。

 ほかにも、
・大正3年  秩父宮殿下、高松宮殿下
・大正12年 久邇宮殿下、同妃殿下、香淳皇后、信子女王殿下
・大正14年 北白川宮大妃殿下、北白川宮能久親王殿下、同豊子妃殿下
 らが訪れています。
 
 また、既にお話ししましたが、
イギリスのエドワード8世(現エリザベスⅡのおじさん)も
来園されています。

 そして、大正天皇が皇太子に時代に訪れたことがきっかけに
その後明治40年頃から大正にかけて、国定教科書に
「木石の雅趣、三名園より優れり」と紹介されています。

 いったい、どうして、大正天皇が皇太子時代に訪れ、
それも1回目の計画は病気で流れ、2回目にようやく実現され、
しかも、掬月亭に4連泊もされたのは、いったい何があったのでしょうか?
 これは、今後の研究課題ですが、私は、貴族院議長まで勤めた
12代当主松平頼寿(よりなが)公の存在が大きいと、
個人的には推測しています。


●最後の高松藩主11代藩主 松平頼聰(よりとし)公
 松平頼聰公は、1861年から、約11年間、
最後の高松藩主だった方です。
佐幕派として京都・摂津方面の警護の任を帯び、
1864年の禁門の変では、御所の警護も担当しました。
また、鳥羽伏見の戦いでは、薩摩・長州の軍隊=官軍に
鉄砲を打ち込みましたが、結果的には負けて、賊軍となり、
それが原因だろうと推測されますが、明治21年まで
第1次、第2次と香川県の名前はありますが、
最終的な「香川県」としての独立は、やはり明治21年です。

 結局、現場責任者である2家老
(小河(おごう)又右衛門と小夫(おぶ)兵庫)の切腹と、
多額の賠償金、
藩主は今の高松高校の北側にあります高松浄願寺での謹慎という
責任を取らされることになりました。

 このことから、天皇の正式な行幸がなく、
栗林公園が3大名園から外された大きな原因とも言われています。
従って、松平頼聰公は、高松藩の最後の藩主となりましたが、
その後、謹慎を許され、伯爵になり、東京に住まわれました。

 ところで、松平頼聰公は、当時としてはたいへん珍しく、
恋愛結婚をされています。
筆頭譜代大名である井伊直弼の次女弥(八)千代姫と恋に落ち、
恋愛結婚されました。
結婚はしたものの、その後クーデターともいうべき桜田門外の変が勃発、
父井伊直弼が暗殺され、2人は仕方なく、離婚しました。
離婚の進言は、あの松崎渋右衛門によってなされたと言われています。

 離縁から9年後の明治5(1872)年、
有栖川宮熾仁(たるひと)親王の助言で復縁しました。
明治36(1903年)年10月17日に頼聰が死去しましたが、
享年70歳でした。
 弥(八)千代姫ですが、
昭和2年に82歳まで亡くなるまで、
穏やかな日々を過ごしたと言われています。

 現在、弥(八)千代姫は、
ゆるキャラの筆頭である「ひこにゃん」の
相手の「やちにゃん」として大活躍しています。

 なお、松崎渋右衛門とは、高松藩の重鎮で彼が実質的な執政を
担っていたと言われています。
しかし、あまりにも強い勤皇思想の持ち主で、
後に暗殺されています。

 「君のため国のためには惜しからじ あだに散りなん命なりせば」

 これは、松崎渋右衛門の辞世の句です。

 松平頼聰公と弥(八)千代姫の間に生まれたのが、
12代ご当主の松平頼壽(よりなが)公です。
従って、頼壽(よりなが)公は、あの大老井伊直弼公のお孫さんにあたります。
 頼壽(よりなが)公は、伯爵となり、30年以上も貴族議員を務めました。
従来は公爵しかなれなかった貴族院議長にもなりました。
現在の玉藻公園内の披雲閣を、1917年(大正6年)に3年の月日と
15万円余(現在価格15億円)をかけて建築し、さらには、
現在の本郷学園をも設立しています。
 
 そして、時間が流れ、
井伊直弼のお孫さんである松平頼壽(よりなが)公と、
徳川慶喜の父である徳川斉昭公のお孫さんである昭子さんが、
ご結婚されます。まさに運命の出会いともいうべきものだと思います。
お二人がご結婚され、幸せに過ごされたことを伺うにつれ、
動乱の幕末・明治から、平和の時代になってきたことを痛感しています。
これも多くが先人の努力の賜物だと思っていますが、
これからの将来の平和な時代の維持については、
我々現代人に課せられている大きな責務だと思います。

●情報発信
 栗林公園で優雅な昼食を
==================================================================
 栗林公園内の茶室「掬月亭」と「日暮亭」でちょっと贅沢で優雅な
昼食はいかがですか。高松の老舗料亭「二蝶」による春に彩られた
「季楽点心(きらくてんしん)」です。

【日時】~6月30日(水) 11時30分~13時30分
【場所】栗林公園 掬月亭(きくげつてい)、日暮亭(ひぐらしてい)
【料金】3,150円(入園料別)
   ※昼食後、御希望により抹茶(菓子付き)も召し上がれます。
(別途200円)
【予約】2名様より前日正午まで受付
【予約先】料亭 二蝶 0120-85-7170
           http://www.nichonet.co.jp
Special Beauty Spot Ritsurin Garden

Ritsurin Garden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,a total of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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