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(118)金沢伝統芸能講演IN栗林公園

Special Beauty Spot RitsurinGarden

Ritsurin Garden,a Daimyo's garden was designated as the 8th special beauty spot in Japan in March,1953.It is the largest,representative“Kaiyushiki-teien"(landscape garden designated for strolling through) in the country.
Under the Cultural Properties Protection Act,at present,a total of 23 gardens have been classified as special beauty spots. Of these,6 are Daimyo gardens and 13 are temple gardens.

 二十四節気では、4月20日の穀雨を過ぎ、5日の立夏を迎えます。
七十二候では、
次候の霜止出苗(霜が終り、稲の苗が生長する)の候から
末候の牡丹華(牡丹の花が咲く)への移りの候です。

 お庭の国宝、栗林公園の花ですが、
サトザクラ(=ボタン桜=八重桜)は、見頃です。
桜茶のもととなるサクラです。
フジも、ツツジ類も見頃を迎え、
ハナミズキは、咲き始めです。

 ハナミズキは、北門から入って30メートルくらいのところと、
公園の北東側にある三木武吉像の近くに見れます。

●歴史が育んだ古都金沢と高松の伝統芸能公演 IN 栗林公園
 天候不順で、ほんとうに直前までやきもきしていましたが、
この25日日曜日は、今までの雨がうそのように晴れ上がり、
まさに雲ひとつない晴天に恵まれました。
これも皆様のおかげです。ありがとうございました。
心からお礼申し上げます。

 古都金沢・石川県と四国の玄関高松・香川県とは、
歴史が育んできた素晴らしい伝統文化など共通するものが多く、
相互に学び合えることから、民間レベルの交流として、
香川の各企業の支店長クラスで組織する「笑狸会」の会員と
金沢の異業種交流の「0の会」の会員との交流が、
本年1月からスタートしました。

 今回は、第2弾として、「笑狸会」の有志会員が、
栗林公園兼六園友好交流実行委員会」を創設、
「歴史が育んだ古都金沢と高松の伝統芸能公演 IN 栗林公園」の
イベントを、県と協力して、実施しました。
掬月亭

 古都金沢の西の茶屋街から、一流の芸どころの芸妓の皆さんをお招きして、
園内の最大の数奇屋造りの建物、掬月亭北庭に初めて設営しました
特設舞台で、25日、午前午後の2回公演、
合わせて800人以上の大勢のお客様を迎え、盛大に開催、
無事終了しました。

 ほんとうに奇跡的に真っ青に晴れ上がった4月の空、
連日の雨をたっぷり含んで、眼にも鮮やかな
新緑いっぱいの樹木の数々、
初めて栗林公園を訪れた金沢の芸妓さんたちが、
言葉では表現できないほどだとため息つかれた見事な松林の景観、
借景の紫雲山、池、木々の緑、石組みなどの地割に驚かれていましたが、
観客で観賞されていた県内のお客様も、
この舞台周辺の見事な景観には、さぞかし改めて、
この栗林公園の素晴らしさも含めて感激されたことだと思います。

 香川からは、上方舞吉村流師範の吉村ゆきその先生にお願いして、
出演していただきましたが、先生からも、この特設舞台は、
最高のステージと、お褒めのお言葉をいただきました。
 
 演目は、ご祝儀小唄の、「白扇」と「三番叟」。
 小唄「白扇」は、
舞  吉村ゆきその
唄  竹枝みち(ちくし みち)
糸  岡安喜重之(おかやす きえの)
笛  藤舎秀扇(とうしゃ しゅうせん)

 一舞一管 「三番叟」は、
立方 西川八重治(にしかわ やえはる)
笛  藤舎秀扇(とうしゃ しゅうせん)の出演者でした。

吉村ゆきその

 吉村ゆきその師範は、香川県文化功労者でもあり、
その優雅な舞は、NHK教育テレビでもおなじみです。
竹枝みち師匠は、全国区で名を馳せた師匠で、
今回の公演実現の大きな力となっていただいた方です。
栗林公園の今回の舞台につきましては、特に気に入っていただき、
わざわざ2回も現地に駆けつけ、試験演奏もしていただくなど、
様々なアドバイスをいただきました。
竹枝みち師匠がいなければ、今回の公演は実現しなかったかもしれません。
心からお礼申し上げます。

 また、笛奏者の藤舎秀扇(とうしゃ しゅうせん)師匠は、
御年80歳を超える、しかしとてもチャーミングでお茶目なご婦人ですが、
ひとたび笛を吹くと、すこぶる素晴らしき音色を醸し出し、
私の曲がっていた背中もピンと伸びるほどの迫力があります。
ほんとに、金沢0(ゼロ)の会の皆さんにも慕われていて、
存在がことのほか大きい師匠です。
金沢芸妓

 若い芸妓さんも、3人来られ、
金沢芸妓による舞台を勤め、
昔から謡いつがれ、兼六園の四季を謡った長唄「兼六園」、
民謡風の「金沢小唄」、そして宴会の中締め時に謡って大騒ぎする
「さわぎ」の3曲を、
立方では、純子さん、あき乃さん、紗やかさんが舞い、
唄は、き代美さんが、そして、
三味線は、八重治(やえはる)さんと、ゆき葉さんに
演奏していただきました。

 3人の若い芸妓さんの登場で、舞台は一気に華やぎましたが、
彼女と、彼女らを支える地方(じかた)の三味線と唄の素晴らしさが、
印象に残りました。
特に、き代美さんの声は、栗林公園の中を駆け巡るかのような
落ち着いてしっかりとして、
しかし艶やかさもあって、今でも耳に残っている素敵な唄声でした。
金沢お座敷太鼓

 最後のお座敷太鼓も、鳴り物特有のにぎやかさがあって、
まさに加賀百万石の優雅な雰囲気でした。

 歴史的にも文化的にも同じように素晴らしいものをたくさん有する
金沢と高松、石川県と香川県の今後益々の交流を目指して、
まずは、2つの地域に長年息づき育てられてきた伝統芸能を披露し
公演した今回ですが、
きっかけは、やはり地元ではなく、県外から来られた方たちの
岡目八目のよそ者の眼でした。
私たち地元のものにとっては当たり前の日常の一こまにしか過ぎない
ものでも、よそから来た方々にとっては、
それはまるで宝石のようにまぶしく輝いているものもあるのですが、
残念ながら、言われるまではそれが存在すること自体が
当たり前ですから、気づかないのです。
ほんとにもったいないことですが、事実です。
そういう輝いているものがたくさんある香川のよさを、
地元の方にもう一度再認識していただきたいというのが、
今回のきっかけとなっています。

 県民の宝である栗林公園の本当の価値を、
もっと多くの地元の方に再認識していただければと思います。
金沢にも兼六園という素晴らしい大名庭園がありますが、
栗林公園は、優るとも劣りません。
しかし、地域文化に対する理解度や貢献度、
そして何とかしてその地域の伝統芸能や文化を守っていこうとする
民力の大きさ・強さは、しかしどう贔屓目にみても
石川県に比べ、香川の方が見劣りするような気がします。
年間にお稽古事で使用する金額が全国1位の石川県、
人口当たりの人間国宝出現率NO1の石川県
人間国宝の数も、京都に次ぎ全国2位、ちなみにあの大東京は3位)。

 但し、高松も実は
伝統芸能の質や素晴らしさでは決して見劣りがないものと
思っています。
足りないのは、それを認識する民の力、情熱だと思います。
素晴らしき宝物があればそれでいいではないかとの意見もありますが、
しかしあってもその存在を認識していないのなら、ないのも同然。
そういう意味では、今回のイベント、
あるいはこれから続々と登場する仕掛けが、
今こそ足元に当たり前のように存在する私たちの宝物を
よそから来た人たちによって、
その素晴らしさを再認識し、理解し、
それを情報発信することができるきかっけになればと思います。

 地域間競争は、もうすでに始まっています。
地域の方が、如何に地域のことを知り、情熱を持って
情報発信するかに、地域の活性化はかかっています。
必要なものは、お金ではなく、熱い気持ちなのです。

 県と市町職員初任者研修で講演後に、なぜそんなに熱いのですかと
聞かれ、県内にこれほど素晴らしいものがたくさんあって、これを知れば
燃えないのが不思議です。
お金では、人が集まっても、無くなれば縁の切れ目。、
しかし、熱い気持ちは、お金以上に人の心を動かします。
お金では得られないものが、実にたくさんこの世にはあります。
気持ちで結ばれるほど、強いものはありません。

 皆さんもぜひ、よそ者の眼で香川を見直してください。
そこには眼うろこの世界が広がっています。
そして、今回の栗林公園でのイベント、
確かに金沢から来ていただき、素晴らしい伝統芸能を披露して
いただきましたが、実は、何よりも金沢の関係者が、
改めて、香川にはなんと素晴らしい公園があるのかと
驚かれた、このこともまた今回の目指すべき一つであったことを
あわせて記しておきます。

 今後とも、笑狸会や金沢0の会の皆さんの応援を受けながら、
金沢・高松、石川・香川と、伝統芸能だけでなく、
子供たち、学生、婦人会など多方面での交流が重なりますように、
仕掛け作りをしていきたいと思っています。
兼六園と栗林公園の姉妹縁組もできればと思っています。
皆様のご協力を心からお願いします。

 補足
 「歴史が育んだ古都金沢と高松の伝統芸能公演 IN 栗林公園」
高松ケーブルテレビが、30分間の公演を全て撮影していますので、
今後何度か放送される予定です。ぜひご覧ください。

●「番外 桜田門外の変」の追加情報!
 実は、重傷を負った家来達は、その後切腹の沙汰が降ります。
藩主の命を守りきれなかったことはそれほど大きなことなのです。
そして、軽傷や無傷の家来は、どうなったかというと、
全員、打ち首、お家は断絶、
近親者も打ち首という厳しく非情な沙汰が降りています。
これが、武家社会、封建社会の厳しい現実です。
ほんとうに平和な今の世の中に感謝しなければいけません。

 実は、この私のこの先週発信の文を読まれて、そのあたりのことが
詳細に書かれている本を見つけましたというリプライメールが届きました。
ほんとに貴重な方です。感謝です。
 
 その本は、吉村昭著書の「史実を歩く」(文春新書)です。
私も思わずその本を購入しました。

 少し長くなりますが、引用させていただきます。
「桜田門外ノ変」余話
「桜田門外ノ変」が単行本として出版された後、
読者の方から多くのお手紙をいただいた。
その中に、山中露丘という方からの葉書がある。

 山中氏は、神奈川県川崎市の多摩川沿いの寺の住職から
聞いた話しだとして、左のようなことを伝えてくれた。
 桜田門外の乱闘があった時、現場から逃げた彦根藩士が、
刀を捨て、雪の降る多摩川を越えて寺の前で倒れた。
 当時の住職が助けて事情をきくと、もしも藩邸にもどれば、
なぜ死ぬまで藩主を守って闘わなかったのか、となじられ、
必ず切腹を命じられる。
それが、恐ろしく、ここまで逃げてきた、と言った。
 さらに男は、一生この寺に置いてくれと懇願したので、
住職は承諾し、男は頭を丸めて寺男になり、生涯を終えた。
墓は寺にあるという。
 墓があるということに、私はこの話が事実にちがいない、と思った。
 (筆者が寺の確認にいたる経緯は一部略)
 廣福寺を訪れて住職に葉書を見せた私は、
その寺が乱闘の現場から彦根藩士がのがれてきた寺であるのを知り、
住職から話をきいた。
 寺は彦根藩と関係があり、住職の犬塚勝健氏は、
桜田門外の変が起こった頃の家老犬塚外記の末裔だというただし、
藩士がのがれてきたのは、それが理由でなかった。
 藩士は、山中氏の葉書通り廣福寺の寺男になって身をひそませ、
生涯を終えたという。
 住職は、寺にその元藩士の墓はないが、本堂の近くに辞世を刻んだ
碑が立っていると言い、石段を登って碑の前に立った。
 辞世はひどい崩し字で判読できず、碑の裏面を見た。
「彦根隠士 畑権助 法名秀元」とあり、
「文久三年、歳七十五で建之」と刻まれている。
桜田門外の変は三年前で、七十二歳で事件に遭遇したことになる。
 そのような高齢では十分な切り合いなどできるとは思えず、
主君が首級をあげられたのを眼にして申訳が立たぬと考え、
現場からのがれたのだろう。
 隠士と自ら記していることに、その老いた元藩士の心情が察せられた。
 山中氏以外にも、井伊直弼の行列に加わっていた足軽の末裔の方から
手紙をいただいた。その足軽も恐怖におそわれて逃れ、
寺に入って僧徒になり、主君の冥福を祈って生涯を終えたという。
 その手紙も保管してあって探してみたが見当たらず、
紹介することができない。
 このように、現場からのがれた彦根藩士の者はほかにも
いたにちがいない。と記述されている。

 また、乱闘現場での状況も、紹介しておきます。

 乱闘現場では、(水戸藩士側)稲田重蔵が闘死し、
重傷を負った有村次左衛門(薩摩藩士)、山口辰之介、鯉渕要人、
広岡子之次郎は自刃、薄田市五郎、斉藤監物、佐野竹之介、
大関和七郎、森五六郎、杉山弥一郎、森山繁之介は、
それぞれ自訴している。
また、自訴した者のうち、傷を負っていた佐野、斉藤、黒澤は死亡し
他の五人は死罪の申渡しを受け、斬首されている。
 行列に加わっていた彦根藩士のうち河西忠左衛門、沢村軍六、加藤苦九郎太、
永田太郎兵衛の四人が乱闘で斬殺され、深手を負って後に死亡した者が
四人いた。
 すさまじい戦いであったのである。
 現場からはなれて逃亡した暗殺者側の者は、関鉄之介、岡部三十郎、
広木松之介、海後磋磯之介、増子金八の五名である。
 この中で、増子は平潟村の回船問屋の家にかくまわれたりして、
病いを経て明治維新後に故郷にもどり、明治十四年十月十二日に死去した。
六十歳であった。
 海後は、家族の必死の助力によって転々と逃げ、
明治維新後東京に出て警察官になった。
退官後、明治三十六年五月十九日、病歿した。七十六歳であった。
つまり、井伊大老を襲撃した水戸藩士十七名、薩摩藩士一名のうち、
関を除いて、増子と海後は鋭い追及をのがれ、明治時代まで生きたのである。

 なお、乱闘は、切り合いというものではなく、
体を密着させ、鍔迫り合いをしていたようである。
その証拠に、乱闘後の雪の上には切り落とされた耳や指が残っていて、
彦根藩邸の者がそれを片付けている。
これは、現在、皇居の桜田門の前には警視庁の建物があるが、
江戸時代はその地に譜代藩である杵築藩松平大隈守の江戸藩邸があった。
興津という江戸留守居役が、眼前で突然起こった乱闘を
藩邸の窓から終始見つめ、それを記録しているのである。と記述されている。

  以上 です。

●情報発信

 青鬼くんの観光情報-イベント情報など、観光香川のとっておき情報

①GW(ゴールデンウィーク)、掬月亭はあなたを待ってま~す。

 園内で一番の見所と言われている掬月亭で、
GWに大サービスをいたします。
原則10時、11時、13時、15時と定時制のガイドをつけ、
茶菓子も、季節をデザインした生菓子を
毎日先着300名様に差し上げますので、
楽しみにしておいてください。
また、家族連れが多いことから、
お子様に対するサービスも考えてますので、
詳細は記者発表をお待ちください。

②第61回丸亀お城まつり
 戦国武将ブームもあってか、入場者数が最多記録を更新中の丸亀城。
その天守修復を記念して始まった丸亀お城まつりでは、
名物“骨付鳥”を題材にした「全日本骨付鳥選手権」や、
毎年総勢2千人が練り歩く「まんでガンガン大行進」など、
今年も楽しい催しが盛りだくさん!

 5月2日(日)には、「日本の太鼓まつり」も開催されます。

【日時】5月3日(月・祝)・4日(火・祝)
【場所】丸亀城周辺(入場無料)
【問合せ先】丸亀お城まつり協賛会事務局
(丸亀市商工観光課内)℡0877-24-8816
【HP】http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i11836/

┌『青鬼くんの観光情報』に関するお問い合わせ―――――――――――┐
  観光振興課 kanko@pref.kagawa.lg.jp 電話:087-832-3360
└――――――――――――――――――――――――――――――――┘

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(117)日本人の素晴らしき感性、何処に !

 二十四節気では、4月20日は穀雨です。
七十二候では、
穀雨の初候の葭始生(葦が芽を吹き始める)から
次候の霜止出苗(霜が終り、稲の苗が生長する)への移りの候です。

●日本人の素晴らしき感性、何処に・・・
 栗林公園では、この土日は比較的温かく、まだ何組かが
名残惜しくサクラの下でお花見をしていました。
今年は、異常気象のせいか、サクラ(ソメイヨシノ)は、
まだまだがんばって花をつけているものもあって、
一陣の風が吹くと、桜がぱっと舞い、
散り桜が見事な花吹雪を演出します。
一部は葉桜となっていますが、まだまだサクラは見頃?です。

 園内の花情報としては、
籔椿(ヤブツバキ)の花が、緑の苔の上に落ちて、
散り椿となって、赤と緑の見事なコントラストの素晴らしいシーンが、
自然に演出されていますので、一度ぜひご覧ください。
また、サトザクラ(八重咲きのサクラ)とツツジ類が
咲き始めとなっていますことも、お知らせしておきます。

 そして、青葉が眼に沁みるほど、青々(緑々)と色づいています。
モミジや楓の紅葉もきれいですが、青葉も瑞々しくて
いとおしくなるくらいきれいです。
実は、小豆島寒霞渓も紅葉の時期は、美しくて日本3大渓谷美を
醸し出していますが、今のこの時期の寒霞渓の青葉も
ほんとうにまばゆいくらいに美しいですよ。

 園内の池では、
雌鯉が岸辺近くで激しく尾鰭で水面を叩くかのようにして
産卵して、そのあとを雄鯉が追って受精させています。
樹木も鯉も、新しい生命を誕生させています。

 そういえば、公園の近くの御坊川の支流の浅瀬でも、
10匹くらいの雄鮒が、
1匹の雌鮒の後を追いかけて、産卵された卵を受精させています。
普段は忙しさにかまけて、このような光景は目にしないのですが、
おかげさまで、生命の息吹を肌で感じています。

 栗林公園には、ミシュラン三ツ星認定の影響もあってか
たくさんの観光客が訪れています。
私も、17日の土曜は仕事で、ガイドクラブの総会に出席したり、
総会記念講演(あなたの魂に火をつけてみませんか!)で
お話させていただいたりしましたが、
18日の日曜日は久しぶりにお休みをとらせていただき、
数ヶ月前から予約の公園ガイドを2件させていただきました。

 1件目は、県内の17名のご婦人方のツアーで
朝の9時から3時間40分。
北門の近くにあります、高松藩の御庭焼きとして伝統を誇る
14代紀太理平さんのご自宅兼窯場にある「理平焼き」の
小美術館ガイドや
家具館から古民芸館に至る、昭和の小堀遠州と言われている
中根金作氏設計の中庭や枯山水庭園、
古民芸館2階に掲示されています、江戸中期製造だけれども
鋳鉄を使用し、しかし古さを感じさせない
なんとモダンな意匠の欄間などは、
皆さん、何度も出かけたことのある栗林公園
まったく意外で知らない部分であり、
相当の驚きようで喜んでいただきました。  
また、掬月亭でのお茶席は、皆さん久しぶりにのんびりされたようで、
鶯の鳴き声も聞こえて、リラックスできたようです。

 実は、先週、雨が降っていた時に、偶然好対照な2組と
遭遇しました。
日本人グループは、雨が降っているので、早く切り上げようなどを
言い合って、つい先ほど入園したにも関わらず、引き返そうとしていたので、
雨の公園も情緒があっていいですよと声かけして、
皆さん納得して、園内を回り始めました。
ところが、直後にスイス人カップルに会って驚きました。
彼らは、「ようこそ栗林公園にいらっしゃいました!」と
私が挨拶するや否や、
「雨の栗林もいいですね、いや、むしろ晴れの栗林よりも、
 しっとりして、雨の栗林の方がいいのでは・・・」と
ベタ褒めでした。
公園のよさを十分理解していただいている、
このスイス人カップルには、驚きです。
いつから、日本人の感性と西欧人の感性が逆転したのか
少し悔しい思いがするのは、私だけではないはずです。

 掬月亭の中庭にここから先は行けませんという約束事の留め石が
置いていますが、欧米人は、その旨を説明しますと、
それ以上は進みません。よく日本の文化を知っている方が多いです。
しかし、台湾や韓国の方の中には、そういう留め石の説明をしても、
その隣の文様のある白洲の中を通るから驚きです。
文化の違いだから仕方ないと思って笑っていましたら、
最近は、日本の若者も、注意しますと、同じように
白洲の中を堂々と通るから、驚いてしまいます。

 あの小泉八雲が、来日して驚いたことは、
秋の静かな夜に、虫の音を聴いて、そして聞き分けて楽しむ
日本人の豊かな感性です。
実は、私たちには当たり前のような、この感性は、
世界を探してもどこにもそのような人種はいないようです。
小泉八雲は、「虫の音楽家」という本で、この日本人の感性の
素晴らしさをベタ褒めですし、
彼自身も、その影響を受けて、それまでは
他のヨーロッパ人と同じようにノイズと感じていた
虫の音を、なんとここちよい音色だろうと感じ、
その後、楽しんでいたそうです。

 日本人の感性の豊かさも、最近では子供の頃から、
そういう訓練をしておかないと見につかないほど、
私たちの生活リズムから、自然が遠のいています。
便利優先、効率優先の社会では仕方ないのかもしれませんが、
何か大きな忘れ物をしているのではないのかというのが
私の率直な感想です。

 そういう意味では、
今年の7月19日から開催される
瀬戸内国際芸術祭2010」は、
確かに現代アートの祭典には間違いないのだけど、
しかし、もっと深堀りすると、
高齢・過疎化の負の遺産としか見ていない瀬戸の島々や海が、
実は、かつては、人、モノ、文化、情報が伝わってきたところであり、
私たちが現代失いかけているもの、たとえば自然、景観、
歴史、文化、伝統芸能、人々とのふれあいなどが、
瀬戸内海や島々にまだまだ残されているという事実を
もっと認識して体感すべきだというコンセプトで実施されるのであり、
そのためのきっかけや動機付けとなるのが
現代アートであるということを早く大勢の方に知っていただき、
この芸術祭に来ていただけるように、思いは強くなるばかりです。

 引き続いて、2件目は午後1時から2時間と、
大阪香川県人会一行のツアーの方でした。
昨年の5月17日に、大阪市で大阪香川県人会の総会の席上で
大胆にも記念講演をさせていただき、
多くの皆さんが知らないであろうふるさと香川の
目うろこの素晴らしさをお伝えしたところ、
それでは、またツアーを組んで訪れましょうと
そのときはその場の社交辞令と思っていましたが、
なんと約1年後にそのツアーが実現し、
大勢の皆様が、大阪香川県人会ツアーに参加されて
香川に来られています。来週も来られます。
ほんとにうれしい限りで、感謝、感謝です。
まさか自分自身が、公園の所長になるとは露知らず、
でも、公務でご案内するわけにもいかず、
お休みとってガイドさせていただいています。
今回は、土間のあるほとんど唯一の江戸初期の茶室である
新日暮亭や、桶樋滝、古図の説明など、
またサービスとして、陰陽石もいくつかご案内させていただきましたが、
多くの皆さんというか、全員眼うろこの世界であり、
たいへん喜ばれました。

 2件で6時間近くのガイドは、やはり少々声が枯れ気味ですが、
皆さんに喜んでいただき、たいへんうれしく、また元気のエネルギーを
いただきました。ありがたいことです。
 
 さらに、21日は、県下の市町新人採用職員に対しての研修時間を
3時間15分いただいていますので、聴いてくれた新採職員が
「ふるさとはすごい、自信ができた、ふるさとのために頑張るぞ!」と
いう意欲が湧くような
そんな研修が少しでもできればと思っています。

●那須幹博の 讃岐のほんまですか?
 ビジネス香川BK(2010年2月下旬号:第12回)
  シリーズ12  讃岐は素晴らしき日本伝統文化の宝庫

 「滅びてほしくない民族があるとしたら、それは日本人である。
日本人は貧しいが高貴である。」詩人で外交官のフランス人、
ポール・クローデルの言葉である。

 そこには忘れてはならない日本人の素晴らしさがあった。
彼は、1921年(大正10年)から、1927年(昭和2年)までの
5年余、駐日フランス大使であった。
彼に、ジャポニスムなどの大きな影響を与えたのは、
実姉のカミーユ・クローデルであり、
彼女は19世紀を代表する近代彫刻の父オーギュスト・ロダンの、
優秀で美貌の弟子でもあった。
ロダンの晩年の助手は、香川出身の藤川勇三であったことは有名である。
 日本人の何が、それほど彼を惹きつけたのか、
四季折々の自然の中ではぐくまれてきた精神性の高い
日本文化の存在も欠かせないと思う。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、世界で日本人だけが
虫の音を聞き分け楽しむ感性を持つと驚嘆したこととも
ひとつの現れである。
ふるさと香川には、そのような素晴らしき伝統文化が
長い歴史の中で培われてきたのである。その一端をご紹介したい。

●たとえば、「能」について
「能」は、時間と空間を超越する夢幻能として、
当時の常識を破る芸能であった。
京で観阿弥・世阿弥の親子の「能」舞台を、
室町幕府3代将軍足利義満が見初めて感動し、
当時の最高の博学者でもあった関白二条良基も、
彼の日記に世阿弥に出会えた感想を「心がほけほけする
(高鳴りドキドキする)」とまで書いている。
当時の武家社会においては、能は貴族社会にはない新たな強みとしての
芸能であった。「能」は、基本的には、死後の世界から蘇ったシテが、
ワキに語りかける物語であるが、
仮面劇、舞台劇、男性劇でもある。
当時の男色文化を理解しないと誤解が生まれるが、
17歳の義満が、絶世の美男子であった12歳の世阿弥に恋をして、
お互いを愛するようになる。
白洲正子をして、稚児姿は、幽玄の本風なりとまで言わしめている。
一子相伝門外不出であった世阿弥の世界的名著「風姿花伝」は、
明治になって一般に公開され、瞬く間に各国に翻訳された。
讃岐と能は、縁が深く、讃岐が舞台の能は3作ほどあり、
「松山天狗」(崇徳上皇と西行)、「八島」(源義経)、
そして「海士(あま)」は、藤原不比等(淡海)と海士の悲しい
恋の物語である。2人の間に生まれた子供「房前(ふささき)」は、
現在コトデン志度線の駅名にもなっている。
また、旧高松藩邸にあった染井能舞台は、現在、
人間国宝の憧れの舞台でもある横浜能楽堂に移築されている。
能の話は、男と女、恋愛、親子、友情など今日でも鑑賞に堪えうるものだが、
特に高齢者問題については深い洞察があり、
現代社会でも大いに参考になるものである。

●番外 桜田門外の変
 最後の高松藩主11代藩主松平頼聰公の奥方は、
筆頭譜代大名である井伊直弼の次女弥(八)千代姫でしたが、
直弼は、その後クーデターともいうべき桜田門外の変で暗殺されたこと、
そして、2人の間に生まれたのが、
12代ご当主の松平頼壽(よりなが)公で、
大老井伊直弼公のお孫さんにあたり、
徳川慶喜の父である徳川斉昭公のお孫さんである昭子さんと、
ご結婚されたということもお話させていただきました。

 まさに運命の出会いともいうべきもの、
お二人がご結婚され、幸せに過ごされたことを伺うにつれ、
動乱の幕末・明治から、平和の時代になってきたことを痛感しています。
これも多くが先人の努力の賜物だと思っていますが、
これからの将来の平和な時代の維持については、
我々現代人に課せられている大きな責務だと思います。

 で、桜田門外の変で、
実は、重傷を負った家来達は、その後切腹の沙汰が降ります。
藩主の命を守りきれなかったことはそれほど大きなことなのです。
そして、軽傷や無傷の家来は、どうなったかというと、
全員、打ち首、お家は断絶、
近親者も打ち首という厳しく非情な沙汰が降りています。
これが、武家社会、封建社会の厳しい現実です。
ほんとうに平和な今の世の中に感謝しなければいけません。

●情報発信
 青鬼くんの観光情報-イベント情報など、観光香川のとっておき情報

①歴史が育んだ古都金沢と高松の伝統芸能競演 IN栗林公園

 歴史的にも文化的にも同じように素晴らしいものをたくさん有する
金沢と高松、石川県と香川県の今後益々の交流を目指して、
まずは、2つの地域に長年息づき育てられてきた伝統芸能を披露し
競演することとなりましたので、ぜひ多くの皆さんのご来園を
お待ちしています。

 日時:4月25日(日)
    第1回競演 11時~
    第2回競演 13時~

 場所:栗林公園内掬月亭北の特設ステージ

 内容:舞と地方の競演
 料金:入園料のみ


②GW(ゴールデンウィーク)、掬月亭はあなたを待ってま~す。

 園内で一番の見所と言われている掬月亭で、
GWに大サービスをいたします。
詳細は次回に掲載、お知らせします。
楽しみにしておいてください。
4月29日からの掬月亭、あなたを待っています。
 

③第61回丸亀お城まつり
 戦国武将ブームもあってか、入場者数が最多記録を更新中の丸亀城。
その天守修復を記念して始まった丸亀お城まつりでは、
名物“骨付鳥”を題材にした「全日本骨付鳥選手権」や、
毎年総勢2千人が練り歩く「まんでガンガン大行進」など、
今年も楽しい催しが盛りだくさん!

 5月2日(日)には、「日本の太鼓まつり」も開催されます。

【日時】5月3日(月・祝)・4日(火・祝)
【場所】丸亀城周辺(入場無料)
【問合せ先】丸亀お城まつり協賛会事務局
(丸亀市商工観光課内)℡0877-24-8816
【HP】http://www.city.marugame.kagawa.jp/itwinfo/i11836/

④うそかえ神事・献麺式
 学問の神様・菅原道真をまつる滝宮天満宮。
当日、参拝した人々が木製のうそ鳥を買い、
まじめな心持ちでほかの人と「かえましょう」「かえましょう」と
呼びかけながら互いに取りかえ(鳥かえ)れば、
知らず知らずのうちに犯した罪が清められ開運を招くと言われています。
また、麺文化や讃岐うどんの隆盛を願って、
打ち立てのうどんを奉納する献麺式も行われます。

【日時】4月24日(土)11時~
【場所】滝宮天満宮 
【問合せ先】綾川町役場経済課 ℡087-876-5282
      滝宮天満宮社務所 ℡087-876-0199

┌『青鬼くんの観光情報』に関するお問い合わせ―――――――――――┐
  観光振興課 kanko@pref.kagawa.lg.jp 電話:087-832-3360
└――――――――――――――――――――――――――――――――┘

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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

(116)高松松平藩,最後の藩主 !

二十四節気では、
4月5日に「清明」を迎えました。
「万物ここに至り皆潔斉なして清明なり」
すべてに芽吹きが始まり明るく清らかな季節です。

 七十二候では、
清明の次候の鴻雁北(雁が北に渡って行く)の候から、
末候の虹始見(雨の後に虹が出始める)の候への移り頃です。

 栗林公園では、春のライトアップ特別追加2日間も、
9日、10日と天気にもどうにか恵まれ、合計12日間無事終了しました。
期間中は多くの花見のお客様にご来園いただき、
ありがとうございました。
園内を巡回する折には、花見をしている多くのお客様にご来園のお礼を
失礼とおもいながら、座の近くまで寄って述べさせていただきましたが、
ほとんどの皆さんが、満開のサクラの下
満面に笑みを浮かべて、幸せそうでした。

 ほんとに平和な日本です。感謝しないと罰があたります。

 4月に入り、栗林校区コミュニティガイドグループ、
イギリス日本庭園協会ご一行、JC高松青年会議所リーダーなど、
多数のガイドをさせていただきました。
また、番外では、玉藻公園や、
重森三玲氏作の増井邸の茶庭や茶室なども案内させていただき、
また新たな多くの出会いをいただきました。
皆さんの素直な感想をお聞きして、改めて、栗林公園の奥深さを
実感するとともに、玉藻公園や増井邸の素晴らしさをもっとより多くの
皆さんに知っていただきたく思いました。

 また、昨年に引き続き、今年度も新採職員にもお話する機会をいただき、
栗林公園をはじめとする庭、食、自然、文化、歴史、芸能、先人など
ふるさと香川が世界に誇れる素晴らしき宝物を紹介するとともに、
実は、そういう宝物をしっかりと認識して
ふるさとの素晴らしさやそこに生まれた自分自身に
誇りと自信を持っていただき、できるだけ多くの人に
元気になっていただきたく、更には、
宝物見つけに終始することなく、
馬鹿もののような熱き情熱や、瑞々しいフレッシュな気持ちと好奇心を
持ち続け、そして、私たちが当たり前と思って見過ごしてしまっている
当たり前の日常の素晴らしさなどをよそ者の眼で教えていただくことなど
そして、それらが、
結局は、仕事や生き方の面でも大いに役立つものだと確信しています。

 また、どうしても無意識のうちに、とらわれがちな常識ですが、
常識は、ほんとうに正しいのか、普遍なのか、日本どころか
世界にも共通のことなのか、過去はどうなのか、
ほんとうに変わらないものなのかなどなど、
一度は疑って見ることによって、もしかしたら、
新たな局面が展開される場合も多々あると
感じ入っています。
このことは、実は、新採職員には寝耳に水のようでしたが、
2時間15分の講義終了後に拍手をいただいた時には、ぐっときました。
さらに数人の職員が演壇に駆け寄ってくれ、
よかったです、目から鱗ですとお礼を言われた時には、
ほんとうに話をよく理解していただき、
こちらが感謝の気持ちでいっぱいでした。

 来週21日は、県下の市町新人採用職員に対しての研修時間を
3時間いただいていますので、聴いてくれた新採職員が
「ふるさとのために頑張るぞ!」という意欲が湧くような
そんな研修が少しでもできればと思っています。


●那須幹博の 讃岐のほんまですか?
 ビジネス香川BK(2010年2月上旬号:第11回)
  シリーズ11 栗林公園3  なぜ「栗林」か、などを推理する・・・

 栗林公園は、日本を代表する大名庭園にも拘わらず、
なぜ日本三名園(兼六園、後楽園、偕楽園)に名を連ねていないのか。
またそもそも「栗林」公園と名づけられた理由は、何か。
資料をもとに推理した私の考えを披露させていただきます。

1 なぜ、日本三名園でないのでしょうか?

 高松藩初代藩主松平頼重公が家康公の孫であるなど、
徳川本家と深いつながりがあったため、高松藩の歴代藩主は、
江戸城黒書院常溜(つねのたまり)の要職を務めてきました。
しかし、その結果、実は幕末の鳥羽伏見の戦いで、会津藩など
他藩に先駆けて、最初に官軍(錦の御旗)に果敢に鉄砲を撃ち込み
攻撃してしまいました。
しかし、たちどころに薩長主体の官軍の反撃にあって
降参、新政府にとっては、高松藩は賊軍であり、高松藩の領地は
賊軍の地となりました。
だから、旧高松藩の領地には天皇陛下の行幸は
なかったのでした。(実際は、通貨だけされたという説もあります。)
(三名園は、明治初期に生まれた言葉だが、行幸の地からのみ
 選ばれたのであろうと推測されます。)

 また、香川県は全国でも一番遅く独立した県(明治21年)であり、
明治初期は将来が暗澹としていた中で、とても公園の管理どころではなく、
大正天皇が皇太子の時に来られる予定に間に合わすかのように
建てられた商工奨励館(当時は県立博物館)が完成する明治32年までは、
公園自体がかなり荒廃しており、名園にはふさわしくない姿でもありました。

 しかし、明治36年の大正天皇(皇太子時代)の訪問をきっかけに、
復興を遂げ、明治40年頃から大正時代の国定教科書の国語に、
「木石の雅趣、三名園より優れり」と紹介されています。

2 なぜ、栗の木がほとんどないのに、栗林公園なのか?
 2代藩主頼常公(水戸光圀の実子)の時に、水不足などの飢饉対策の
非常食として、栗の植栽を行ったという記録があり、古絵図にも栗木原の
存在が確認され、栗林と名づけられた考えもありますが、
初代頼重公の英公(頼重)実録には、彼が1642年に赴して
わずか1ヶ月余で、「栗林荘で遊ぶ」との記述があり、
その考えは矛盾しているようです。

 また、「栗林」という地名は、1890年(明治23年)の
市制・町村制施行時になってからのようです。
結局、私は、紫雲山=「里山」にある下屋敷だから、
「栗林荘」と名づけたと考えています。
紀元前300年頃の中国戦国時代の思想家であった荘子は、
自書の中に「山本第20章、遊於栗林」と書いています。
中国では、古くから栗林は里山です。
栗林が、元々里山の意味なら、その地名がなくても不思議ではありません。
借景である里山の紫雲山があるからこその栗林公園であると私は確信します。

 追加ですが、
◎明治中頃に、誰が、栗林公園の真の価値を見出し、
 復興に力を注いだのでしょうか!
 公園の整備、博物館の建設、国定教科書への掲載など
明治20年を過ぎてから、公園は改修工事も進み、次第に整備され
直していきます。
明治末期から大正にかけては、実に多くの皇族関係の方が
ご来園されています。

 たとえば、大正天皇は皇太子の時に掬月亭に4連泊もしています。
明治36年10月10日から、4泊5日です。
掬月亭は、宿泊施設ではないだけに、異例中の異例です。
大正天皇は、この後、善通寺市の交流サロン偕行社の杮落としにも
出席しています。

 ほかにも、
・大正3年  秩父宮殿下、高松宮殿下
・大正12年 久邇宮殿下、同妃殿下、香淳皇后、信子女王殿下
・大正14年 北白川宮大妃殿下、北白川宮能久親王殿下、同豊子妃殿下
 らが訪れています。
 
 また、既にお話ししましたが、
イギリスのエドワード8世(現エリザベスⅡのおじさん)も
来園されています。

 そして、大正天皇が皇太子に時代に訪れたことがきっかけに
その後明治40年頃から大正にかけて、国定教科書に
「木石の雅趣、三名園より優れり」と紹介されています。

 いったい、どうして、大正天皇が皇太子時代に訪れ、
それも1回目の計画は病気で流れ、2回目にようやく実現され、
しかも、掬月亭に4連泊もされたのは、いったい何があったのでしょうか?
 これは、今後の研究課題ですが、私は、貴族院議長まで勤めた
12代当主松平頼寿(よりなが)公の存在が大きいと、
個人的には推測しています。


●最後の高松藩主11代藩主 松平頼聰(よりとし)公
 松平頼聰公は、1861年から、約11年間、
最後の高松藩主だった方です。
佐幕派として京都・摂津方面の警護の任を帯び、
1864年の禁門の変では、御所の警護も担当しました。
また、鳥羽伏見の戦いでは、薩摩・長州の軍隊=官軍に
鉄砲を打ち込みましたが、結果的には負けて、賊軍となり、
それが原因だろうと推測されますが、明治21年まで
第1次、第2次と香川県の名前はありますが、
最終的な「香川県」としての独立は、やはり明治21年です。

 結局、現場責任者である2家老
(小河(おごう)又右衛門と小夫(おぶ)兵庫)の切腹と、
多額の賠償金、
藩主は今の高松高校の北側にあります高松浄願寺での謹慎という
責任を取らされることになりました。

 このことから、天皇の正式な行幸がなく、
栗林公園が3大名園から外された大きな原因とも言われています。
従って、松平頼聰公は、高松藩の最後の藩主となりましたが、
その後、謹慎を許され、伯爵になり、東京に住まわれました。

 ところで、松平頼聰公は、当時としてはたいへん珍しく、
恋愛結婚をされています。
筆頭譜代大名である井伊直弼の次女弥(八)千代姫と恋に落ち、
恋愛結婚されました。
結婚はしたものの、その後クーデターともいうべき桜田門外の変が勃発、
父井伊直弼が暗殺され、2人は仕方なく、離婚しました。
離婚の進言は、あの松崎渋右衛門によってなされたと言われています。

 離縁から9年後の明治5(1872)年、
有栖川宮熾仁(たるひと)親王の助言で復縁しました。
明治36(1903年)年10月17日に頼聰が死去しましたが、
享年70歳でした。
 弥(八)千代姫ですが、
昭和2年に82歳まで亡くなるまで、
穏やかな日々を過ごしたと言われています。

 現在、弥(八)千代姫は、
ゆるキャラの筆頭である「ひこにゃん」の
相手の「やちにゃん」として大活躍しています。

 なお、松崎渋右衛門とは、高松藩の重鎮で彼が実質的な執政を
担っていたと言われています。
しかし、あまりにも強い勤皇思想の持ち主で、
後に暗殺されています。

 「君のため国のためには惜しからじ あだに散りなん命なりせば」

 これは、松崎渋右衛門の辞世の句です。

 松平頼聰公と弥(八)千代姫の間に生まれたのが、
12代ご当主の松平頼壽(よりなが)公です。
従って、頼壽(よりなが)公は、あの大老井伊直弼公のお孫さんにあたります。
 頼壽(よりなが)公は、伯爵となり、30年以上も貴族議員を務めました。
従来は公爵しかなれなかった貴族院議長にもなりました。
現在の玉藻公園内の披雲閣を、1917年(大正6年)に3年の月日と
15万円余(現在価格15億円)をかけて建築し、さらには、
現在の本郷学園をも設立しています。
 
 そして、時間が流れ、
井伊直弼のお孫さんである松平頼壽(よりなが)公と、
徳川慶喜の父である徳川斉昭公のお孫さんである昭子さんが、
ご結婚されます。まさに運命の出会いともいうべきものだと思います。
お二人がご結婚され、幸せに過ごされたことを伺うにつれ、
動乱の幕末・明治から、平和の時代になってきたことを痛感しています。
これも多くが先人の努力の賜物だと思っていますが、
これからの将来の平和な時代の維持については、
我々現代人に課せられている大きな責務だと思います。

●情報発信
 栗林公園で優雅な昼食を
==================================================================
 栗林公園内の茶室「掬月亭」と「日暮亭」でちょっと贅沢で優雅な
昼食はいかがですか。高松の老舗料亭「二蝶」による春に彩られた
「季楽点心(きらくてんしん)」です。

【日時】~6月30日(水) 11時30分~13時30分
【場所】栗林公園 掬月亭(きくげつてい)、日暮亭(ひぐらしてい)
【料金】3,150円(入園料別)
   ※昼食後、御希望により抹茶(菓子付き)も召し上がれます。
(別途200円)
【予約】2名様より前日正午まで受付
【予約先】料亭 二蝶 0120-85-7170
           http://www.nichonet.co.jp

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(115)あと何回サクラが観れますか?

 二十四節気では、
4月5日の「清明」を迎えます。
万物ここに至り皆潔斉なして清明なり・・・
すべてに芽吹きが始まり明るく清らかな季節です

 七十二候では、
清明の初候の玄鳥至(燕が南からやってくる)の候から、
次候の鴻雁北(雁が北に渡って行く)の候です。

栗林公園ライトアップ追加決定!
 今年は、高松地方気象台が3月20日の16時、
サクラの開花宣言をしました。

 通常であれば、開花後、約1週間から10日で満開になる予定が、
今年は、気温の低い雨の日が多く、
また晴れていてもかなり冷え込んだなど
気象条件が満開になりにくい状況が続き、
天候不順で満開の時期がかなり遅れ、
ようやくライトアップ予定最終日の4日に、
ソメイヨシノの標本木において、4日14時に高松地方気象台が
満開の状態を観測し、15時に満開を発表しました。

 栗林公園での春のライトアップは、4日(日)に終わる予定でしたが、
公園観光事務所でも、数日前に満開の時期を4日頃と予想し、
今後、5日から1週間は満開の状態が続くであろうと考え、
今後の天気予報、平日よりは金土に人が集中しやすいことなどを考慮して、
9日(金)と10日(土)の2日間のみですが、
ライトアップを追加実施することにしていたので、
よかったです。

 ライトアップの追加実施は、厳しい財政状況の中では容易には
判断できにくいことですが、
今から見頃という時期に、ライトアップ終了とはということでは、
やはりおかしいです。
 9日(金)、10日(土)と今のところ天気に恵まれる予定ですので、
大勢の皆様、お誘い合わせのうえ、お越しください。

 ボランティアガイドで、アメリカやヨーロッパの方を案内しますと、
彼らは桜と言えば、さくらんぼを連想します。
それに比べて日本人は、欧米人の経済性連想より、どちらかといえば
高い精神性で連想します。これは大きな違いです。
それは、私はこう解釈しています。
今でこそ、当たり前の冬越し。しかし、冷暖房のない時代に夏や冬を
越すことは一歩間違えれば死に繋がります。
厳しい冬の寒さに耐え切った後、美しく咲いた桜は、
さすが感慨深いものがあります。
他の季節にも
美しい花はありますが、それでも桜が一番となるのではないでしょうか!

 サクラを愛でての花見もいいものですが、
サクラを観れるということは、厳しい冬の寒さに耐え切った、
その結果であり、命あることの実感を思ってのその喜びと感謝の気持ちは
しかしいったい何人の人がそのように感じているのでしょうか。

 日本はほんとうに恵まれています。
そして当たり前のように、
多くの日本人がその恵まれた状況を受け取っていますが、
実は、将来までそのような恵まれた状況が続くかどうかは、
何の保障もないのです。

 この世に生を受けて、実はサクラの花を愛でられるのは、
120歳という天寿をまっとうしても、
わずか120回しか見られないのですね。
わずか120回。

 でも、平均寿命は、男女とも79歳から85歳くらいですから、
実際はもっと少なく、ほんとうに限られた回数なのです。

 このメールを読まれている皆さんは、
あと何回サクラを愛でることができますか?
そう考えると、とてもサクラがいとおしくなりませんか。
いや、サクラだけではありません。
道端の草花、野良猫、足元を這う蟻どころか、ゴキブリさえも・・・
この世に存する生あるもの全てがいとおしくなります。

 サクラを観れるということは、すなわちそういうことなのです。
だからこそ、単にお酒を飲んで騒いだり、宴会をするだけではなく、
ほんのひと時でもそういうことを思っていただければと思います。
そう思うと、世界が違って見えるはずです。
隣にいる人に無性に話がしたくなるはずです。
サクラとは、そういう不可思議な花だと思います。

・「さまざまの 事おもいだす 桜かな」 芭蕉
 芭蕉の詠んだ句碑は、県内にもいくつかありますが、
どうも芭蕉自身は、讃岐には来られていないようです。
でも、芭蕉は、この句を詠んで、いったい何を思いだしたのでしょうか?
興味あります。

 連歌を、俳句(俳諧連歌)として庶民に広めたあの山崎宗鑑、
実は、亡くなるまでの約30年を、観音寺市「一夜庵」で過ごしたことを、
ご存知ですか?
室町幕府9代将軍足利義尚(よしひさ)や師匠であった一休禅師も
亡くなり、宗鑑は世を儚み出家して僧になり、
その後、俳諧連歌集「犬筑波集(いぬつくばしゅう)を編集し、
俳諧の祖と言われました。
居住地山崎にも戦火が広まり、友人であった讃岐国の興昌寺の梅谷和尚を
頼って、観音寺に移りました。

 観音寺市に住んでいる地域おこしのグループの数人方に、
俳句でまちおこししてみませんかとお話したところ、
俳句は松山ですよと笑われたことがあります。
松山は、確かに正岡子規が育ったところですが、彼は近代俳句です。
俳句は、宗鑑です。
なぜ、俳句は松山ですよと言われるのかわかりませんが、
もっともっと宗鑑のことを勉強してほしいと思いました。
松山なんかに負けてはいけません。
俳句は観音寺、そう思ってどんどん仕掛けるべきです。
住んでる人が、その宝ものを放棄して、
いったい誰が地域を元気にしてくれるのでしょうか?
誰もしてくれません。
地域の人が頑張れば、地域が元気になります。
そういうところに人は来るものです。
そう思います。

・「願はくは 花の下にて われ死なん そのきさらぎの望月のころ」 西行
 西行は、讃岐国にも来ています。
上田秋成の「雨月物語」には、
旧主崇徳院の陵墓白峰を訪ねて霊を慰めたことが書かれていますし、
また、西行は真言宗、同じ宗派の師の弘法大師の遺跡巡礼も行っています。
さらに、能「松山天狗」も実は、シテが崇徳上皇、ワキが西行ということで
演じられています。
 白洲正子さんが書いた「西行」は一読の価値ありです。
ぜひともお勧めしたい本の一つです。

・「花は桜 人は武士」
武士の理想的な生き様を、桜の散り行く潔よさにたとえています。

 わずか17字、31字に人生観を盛り込む俳句や短歌、
ほんの少し前までは、ちょっとした大人なら教養として身につけていた
すばらしき日本人。
俳句や短歌を詠むには、心に余裕が必要だし、自然に生かされているという
謙虚な態度で、いつも自然に目を向け、季節の移り変わりを楽しみ、
自然の恵みに感謝する謙虚な気持ちが必要で、
実は、これこそ現代人にもっとも欠けている視点であり、
必要とされている生き様だと思います。

 染職家 人間国宝 志村ふくみさんの「色の変化で季節を知る大切さ」、
便利さに誘惑されずに「待って」旬の素材を味わう心の余裕を訴える料理
研究家の辰巳芳子さん、お二人とも80歳を超えていますが、語る言葉
一つ一つに重きがあり、考えさせられる方たちです。
いつかまたこのお二人のお話をさせていただきます。
そして、特に辰巳芳子さんは、実は香川県のある業者の作る製品に
ことのほかほれ込んでおり、最近その方と偶然にもお話できた幸運が
ありました。このお話もまたいずれさせていただきます。 

 でも、サクラって、平安時代になって、
初めて、「花は桜」と言われるようになったようで、
古事記、日本書紀、万葉集などにも桜の記述はありますが、
奈良時代までは、花といえばそれは梅でした。
原産としては、日本よりはるかに品種の豊富な中国でも、
桜は日本ほど人気がなかったようです。
 しかし、桜は、葉が出揃う前に
いきなり花が咲くということで、古代からその神秘性や生命力の強さに、
多くの人は驚き、愛でてきました。
 桜全体を総称する別名である乳母桜(姥桜)は、現在では多くの人が
悪いマイナスイメージを持っていますが、これは、桜の「葉なし」と
姥・乳母の「歯なし」をかけて生まれました。
その神秘性・生命力の強さのシンボルですから、
乳母桜(姥桜)は、若さは過ぎたが、女性の美しさや色香は
なおますます輝いていることを意味しています。

 けれども、年配のご婦人に、あなたは乳母桜のような方だというと、
現代では間違いなく、失礼にあたると思いますので、
あまり言わないほうが賢明かもしれません。(笑い)

●那須幹博の 讃岐のほんまですか?
 ビジネス香川BK(2010年1月下旬号:第10回)
シリーズ10 栗林公園2  日本を代表する畢竟の大名庭園・・・

 栗林公園が、なぜ多くの入園者を魅了するほど素晴らしいのか、
日本を代表する畢竟(ひっきょう)の大名庭園なのか、
簡単にのべます。

①広さ日本一・・・180の文化財庭園の中で日本最大の広さ。
      面積約75haは、東京ドーム16個分もあるほどの広大さ。

②歴史日本一・・・生駒4代藩主高俊公の時代(1630年代)に、
      外祖父であり城造りの名人であった藤堂高虎(伊勢津藩初代
      藩主で史上最強の外様大名)の家来であり、天才土木技術者で
      ある西嶋八兵衛が築庭してから約380年の歴史を有する。

③築庭期間日本一・・・高松藩5代藩主松平頼恭(よりたか)公まで、
      なんと約100年もの長い歳月をかけて築庭された。
      ちなみに岡山後楽園は13年、水戸偕楽園はわずか9年で
      完成している。

④長寿のシンボルである「松」の数日本一・・・園内平地には、
      約1,400本の松があり、そのうち手入れ松約1,000本の
      樹芸は他に例を見ない。園内には、6本のお手植え松があるが、
      大正天皇が皇太子の時に訪れ植樹した掬月亭南のお手植松だけは、      なぜだか手入れされていない。

⑤日本一の鴨場・・・鴨引き堀が残る鴨場は全国でも5箇所しかなく、
      公園東門北に遺構が発見され復元された鴨引き堀は、幅、
      長さとも日本一の長さである。

⑥数寄屋建築の第一人者である村野藤吾氏も絶賛した掬月亭・・・空から
      見ると北斗七星の形をしていたと言われ歴代藩主に愛用された
      掬月亭には、菱形格子模様の透かし床の間や和紙張り天井など、
      永遠のモダン意匠が残されていると絶賛。

⑦エリザベス女王のおじのお手植松・・・「王冠を捨てた恋」で世界中を
      熱狂させたエドワード8世(現エリザベス女王のおじ)の
      お手植松がある。

⑧三千家のひとつ武者小路千家の発祥の地・・・高松藩初代藩主松平頼重公が、
      千利休のひ孫にあたる千宗守を京都から招聘し約2年半
      茶道頭として登用。
      宗守はその後京都の武者小路で新しい流派を開設。別称官休庵は、
      高松藩の茶道頭を辞したことから名づけられた。

⑨茶室 新日暮亭・・・江戸時代初期の様式を伝える茶室新日暮亭は、
      土間併設の全国でも珍しい茶室であり、露地も降蹲(おりつく
      ばい)で稀少である。


●情報発信
栗林公園の月釜
==================================================================
 江戸時代歴代藩主が大茶屋と呼んでこよなく愛した茶室「掬月亭」。
定例茶会である月釜を開催します。お気軽に御参加ください。

【日時】4月11日(日) 9時~16時(最終受付は15時30分まで)
【場所】栗林公園 掬月亭(きくげつてい)
【席主】表千家同門会香川県支部
【料金】710円
(入園料別。入園料とのお得なセット券もあります。1,080円)
【問合せ先】栗林公園観光事務所 087-833-7411


②栗林公園で優雅な昼食を
==================================================================
 栗林公園内の茶室「掬月亭」と「日暮亭」でちょっと贅沢で優雅な
昼食はいかがですか。高松の老舗料亭「二蝶」による春に彩られた
「季楽点心(きらくてんしん)」です。

【日時】~6月30日(水) 11時30分~13時30分
【場所】栗林公園 掬月亭(きくげつてい)、日暮亭(ひぐらしてい)
【料金】3,150円(入園料別)
   ※昼食後、御希望により抹茶(菓子付き)も召し上がれます。
(別途200円)
【予約】2名様より前日正午まで受付
【予約先】料亭 二蝶 0120-85-7170
           http://www.nichonet.co.jp

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