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(105)生きていることこそ幸せ !

 二十四節気では、
最後の大寒を1月20日に迎え、寒さもかなり厳しくなっています。
私の周りにも風を引いている人たちを見かけますが、
どうかくれぐれもご自愛ください。

 七十二候では、
大寒の次候の水沢腹堅(沢に氷が厚く張りつめる)の候から、
末候の鶏始乳(鶏が卵を産み始める)の候です。

●忘れてはいけない方たち・・・
 昨年も素敵な方たちが神に召されてしまいました。
1月には、フォーリーブスの青山孝史くん(享年57歳)、
視覚のマジシャンとも言われた
グラフィックデザイナーの福田繁雄さん(享年76歳)、
2月には、シャンソン歌手の大木康子さん(享年66歳)、
3月には、東京オリンピック体操金3個を始め金メダル5個、
3大会団体優勝メンバーの遠藤幸雄さん(享年72歳)、
日本舞踊の紫派家元で女優の藤間紫さん(享年85歳)、
4月には、清水由貴子さんが短い生涯を終えました。(享年49歳)。
5月には、日本ロックの神様と言われていた忌野清志郎さん(享年58歳)、
津軽海峡冬景色作曲の作曲家三木たかしさん(享年64歳)、
切り絵作家滝平二郎さん(享年88歳)、

 そして私が大ファンだった
元NHKとフジのアナウンサーであった
頼近美津子さん(享年53歳)、
作家の栗本薫さんも56歳で亡くなっています。
6月には、プロレスノア社長の三沢光晴さん(享年46歳)、
「でっかいどう、北海道」などのキャッチコピーで有名な
コピーライターの眞木準さん(享年60歳)、
7月には、ロック歌手の川村カオリさんが38歳という若さで、
8月には、大原麗子さんが62歳で、山城新伍さんが70歳で、
そしてフジヤマのトビウオとして水泳自由形で33回の世界記録を
樹立した古橋広之進さんも80歳で亡くなられました。

 9月は、クレヨンしんちゃんの臼井儀人さん(享年51歳)、
10月は、歌手の加藤和彦さんが62歳で、
女優の南田洋子さん(享年76歳)、
社会評論家の室伏哲郎さん(享年78歳)、
11月は、タレントの亀山房代さんは42歳という若さで、
そして12月は日本画の巨匠平山郁夫画伯が79歳で亡くなりました。

 海外では、天才ミュージシャンのマイケル・ジャクソン(50歳)、
アメリカ美人女優のファラ・フォーセット(62歳)、
政治家では、フィリピンのコラソン・アキノ元大統領(76歳)、
ノーベル経済学賞受賞のポール・サミュエルソン(94歳)、
女優のジェ二ファー・ジョーンズ(90歳)、
隣の韓国では、金大中元・盧武絃(ノムヒョン)前大統領と相次いで
亡くなりました。

 たくさんの人が昨年亡くなりましたが、多くの方には、可能性を秘めて
素晴らしい未来があります。
生きてることが幸せ、感謝しながら大切に日々を過ごさなければいけないと
自戒しています。

 さらに、大地震が発生したハイチの被災状況。
私自身も先週か今週にかけて海外で留守にすることが多く、
詳細は掴めていませんが、地球より重いと言われる人の命が、
瞬時にこれほどまでに失われるのかと思うと、胸につまされます。
不幸にも亡くなられた方には、ご冥福を祈るとともに、
個人的にははわずかな義捐金くらいしかできませんが、
行方不明者の救出、震災後の対策など、
多くの課題が速やかに解決されることを
祈るばかりです。


●意外と知られていない秘話!
源平合戦那須与一
 高松市の東部に、牟礼町、庵治町があります。
屋根の形をしたメサ状の屋島が間近かに見え、静かな落ち着いた地域ですが、
源平合戦の史跡も数多く点在してあります。

 1642年に高松に赴任した、徳川家康の孫であり、
水戸光圀(黄門)の兄でもある、高松藩の初代藩主松平頼重公が、
この源平合戦の史跡を、改めて整備したとも言われていますが、
そこには、私のご先祖様とも思われる那須与一に関係のある、
扇の的の駒立岩、祈り岩なども、当時を偲ぶかのように存在しています。

 私たちは、那須与一の扇の的と言えばあの源平合戦の…と思い浮かびますが、
歴史書「吾妻鏡」や関白太政大臣九条兼実の日記「玉葉」には、
源平合戦はあっても、那須与一の話は、一切ないのですから不思議です。
さらに、当時、京都の町では、源平合戦(屋島、壇の浦の戦いなど)すら
知らされていません。
また、ほぼ同時代の鴨長明の「方丈記」などにも、その記載はありません。
おそらく、京の人にとって、四国や九州のことは、
ほとんど無関心だったに違いありません。
那須与一を後世に伝えたのは、わずか「源平盛衰記」や「平家物語」しかない
というのですから驚きです。

 また、歴史というのは、その時代時代で特色があり
ほんとうに面白いものです。そして歴史を学ぶ時に特に注意しなければ
いけないことは、現在の常識や概念を当てはめて考えてはならない
ということです。

 当時の時代を思い浮かべて、当時の眼で時代を考証しなければ
いけないことです。たとえば、兵士や戦い方です。
源平合戦の幕開けでもある1184年2月7日の一の谷の戦いですが、
義経は、本来は、2月4日に奇襲する予定でした。
しかし、2月4日は3年前に63歳で亡くなった平清盛の命日だったので、
平家が仏事を行っている時に攻めるのはよくないと考え、
日を延ばし、結局7日の奇襲となったわけです。
奇襲はするけど、日を選ぶというのは、なかなか面白い逸話です。
 海軍を持たなかった源氏は、海に逃げる平家を追うことができず、
結局、2月17日、(大阪)摂津渡辺を発ち、嵐の中、
阿波の国へ向かいます。そして、現在の小松島市付近に上陸して、
地元の実力者を打ち負かし、見張りを立てなかった平家の油断を突き、
一挙に2月19日には、屋島の戦い(3日間)に臨み、
2月20日には、扇の的事件、そして、3月24日には、
山口県の壇の浦の戦い(わずか1日の戦い)で、平家を滅亡させています。
 
 こう書くと、そうかと多くの皆さんが納得するのですが、
実は、2月7日の一の谷合戦は、
1184年、嵐の中、(大阪)摂津渡辺を発ち、
阿波の国へ向かった2月17日は、なんと翌年の1185年のことであり、
ここには1年以上のブランクがあります。
これはどうしたことでしょうか?

 答えはこうです。当時の兵士は、農民を借り集めたものであって、
専門職(プロ)の兵隊ではなかったのです。
だから、兵隊を動かせるのは、農閑期の晩秋から冬に限ることとなり、
春を迎える3月には、兵士は、ふるさとに帰って、
農作業に従事しなければいけなかったのです。
兵士は実は農民をかり集めたものでした。
源氏が再び動き出したのが、1年後ですから、
平家も油断していたのでしょうか、
屋島まで見張りをほとんど置いていなかったらしく、
だからこそ、徳島上陸後、あっという間に屋島まで駆けつけることが
できたようです。

 屋島の戦いも、いきなり切りあうわけでもなく、
古文書によれば、まずは名前をお互いに名乗って、
それから、お互いの悪口を罵り合って、悪口が言い尽くされ、
疲れた頃から、ようやく弓矢が放たれることになるようです。
今でもこの戦闘スタイルは、南海の島々では行われています。
源氏の戦いは、たとえば、当時の戦いとしてはタブー視されていた
船の船頭や漕ぎ手を真っ先に狙って、船の自由を奪って、
退治するいわば卑怯な戦法をとったりしていますし、
また、この源平合戦から、赤組(平家)、白組(源氏)が誕生しました。

 那須与一宗高、当時17歳。まさか自分に白羽の矢が当たる
(指名される)とは夢にも思わなかったはずです。
それでも、見事成功させて、下地が金色で、赤い日の丸の扇の的が
ゆらりと舞い上がり、舞い落ちる様は、
まさに琵琶法師の語りの聞かせどころです。

 平家物語では、以下のような記述があります。
 鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける、
しばしは空にひらめきけるが、春風にひともみふたもみもまれて、
海へさっとぞ散ったりける。
夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出だしたるが、
白波の上にただよい、浮きつ沈みつゆられければ…
目に浮かぶような実に見事な語りです。

 ところで、那須与一の与一は、10あまる1ということで、
よく11男の人を指しますが、那須与一も文字通り11男です。
そして、なんと兄のうち9人が平家についていたということは、
皆さんご存知だったでしょうか!

 見事、扇の的を射止め、褒美に武蔵を始め5つの荘(土地)を
もらったようですが、郷里の神社に全部寄付し、その後の消息は、
どうもはっきりしません。
「日本人名大辞典」では、晩年は京都で坊さん生活を送っていたとの
記述もありますが、真偽のほどはわかりません。
源平合戦の死者を供養して、全国を行脚したとも言われていますが、
詳細は不明です。

 与一のほかに有名なのは、弟の那須大八(宗久)ですね。
彼のことは、宮崎県椎葉村の「稗つき節」の歌詞にあるように
現在まで伝わっています。
平家の落ち武者の娘である鶴冨姫との恋は、悲恋の話です。

○鶴冨屋敷
 http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/cms/index.php?itemid=237

○稗つき節
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hietsukibushi.html

 那須と言う姓は、東国武士ということで、栃木県に多いですが、
意外と、宮崎県にも多くあるのは、このような理由なのですね。

 以上、出典
さぬき発 与一の矢 その4
~眼からうろこの落ちるさぬきの話 キラリと光る時代の一コマ~
「歴史に無関心なほどもったいないものはない」 那須著です。
(調査月報2009年10月号から)


●情報発信

○情報発信賞金だけじゃない。
「四国を感じるオーナー権」 プレゼント!

 四国ツーリズム創造機構「ロゴマーク」・「キャッチコピー」募集!

 みなさん「四国ツーリズム創造機構」をご存知でしょうか。

 「四国ツーリズム創造機構」は2009年7月31日に設立された、
官民一体による広域連携で、四国の観光産業の活性化を推進する団体です。
簡単に言うと、四国の良いところを皆さんに知ってもらい、
もっと四国に遊びにきてもらうために頑張ってる人達です。
この度、その生まれたての「四国ツーリズム創造機構」のために、
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公募をお手伝いさせて頂くことになりました。
もちろんただのデザイン公募ではありません。ロゴマーク、
キャッチコピーが選ばれた人には、なんと賞金30万円をプレゼント!
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四国ならではのスペシャルな「オーナー権」を
四県から選ぶことができます。
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今回、最優秀賞作品応募者を推薦した方にも
「四国を感じるオーナー権」がもらえちゃいます
気になるオーナー権の内容ですが...

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練り上げた至高の一品です。
あくまでも「製麺所」にこだわるため、
店頭で打ちたてのうどんを食べられる時間は昼間の1時間だけ。
そんな貴重な日の出の最高のうどんを、
自宅でも店頭でも一年間思いっきり楽しめる権利をプレゼント!

■愛媛■ 今治・しまなみ海道 大島
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その大島からいつでも好きな時に出港できる船のオーナー権をプレゼント。
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あわせて、大島の元郵便局を丸ごと1年使用できる権利をプレゼント。
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中はキッチンにベットルーム、メインルームはギャラリーに使ったり
幅広い用途でお使いいただけます!
高知・清流を感じる四万十のオーナー権、
徳島・アートを感じる神山のオーナー権は現在交渉中です。
詳細は追って発表いたしますので、お楽しみに!
ということで、皆さん、どしどしご応募&ご友人にお知らせください!
募集内容の詳細は以下の募集要項をご確認お願いいたします。
募集要領ダウンロード.doc
キャッチコピー応募シートダウンロード.doc
ロゴマーク応募シートダウンロード.doc
募集期間 平成22年1月18日(月)〜2月28日(日)

【募集要項】
http://www.hipj.net/activity/2010/01/post-12.html
ここで、応募要項、応募シート等ダウンロードできるようになっております。
ぜひ、PRにご協力頂ければ幸甚です。
不明な点があれば遠慮なく仰って下さい。
たくさんの方のご応募お待ちしております。
お問い合わせ先:tourism-info@hipj.net
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

(104)日本人の忘れ物

 二十四節気では、
1月20日に大寒を迎えます。
寒さもいよいよピークです。
時折、手袋がないと、指先が痛いほどの夜気の冷たさを感じます。
皆さん、風邪ひかないようにご自愛ください。

 前回、韓国の素晴らしい床暖房システムであるオンドルの話を書き、
オンドルの遺構が見つかり、その起源は、3世紀から4世紀らしいと
書きましたが、これは私の完全な記憶違いで、
正確には、紀元前4世紀から3世紀にかけての遺構から、
オンドルシステムがあったということが判明したので、
申し訳ありません、ここで訂正させていただきます。

 七十二候では、
小寒の次候の水泉動(地中で凍った泉が動き始める)から、
末候の雉始句隹(雄の雉が鳴き始める)の候です。

●世界中で、絶対滅びてほしくない民族は、どこ?
 第二次世界大戦で日本が敗戦濃厚と思われた1943年、
詩人で外交官のフランス人、ポール・クローデルは、
「日本人は貧しいが高貴である。世界でどうしても滅びてほしくない
 民族があるとしたら、それは日本人である。」と話しています。

 ご存知でしたか?

 これは、私たち日本人には、誇りにすべきほんとに素晴らしい言葉で、
今さらながらに、日本民族の素晴らしさ、日本民族の繊細さを痛感しています。
それは、「日本人の忘れもの」(石井英夫著)に書かれています。

 ポール・クローデルは、フランス人。
彼は、1921年(大正10年)から、1927年(昭和2年)までの5年余、
駐日フランス大使をしていました。
 彼はとても日本文化に造詣が深く、
当時、日本とフランスという国家間の揉め事もなかった時代も幸いして、
姉カミーユのジャポニスムの影響も大いにあって、
在日中、歌舞伎、文楽、能などを積極的に観劇。
また地方の城郭や神社仏閣を熱心に見てまわり、文化人とも親しくして、
日本文化の本も何冊か出版し、当時の親日派の代表格でありました。
 彼の大きな功績は、渋沢栄一と協同して、日仏会館を発足させたことでした。
このような人がいて、日本人が最大限の評価を得ていた時代が
あることを、私たちは忘れてはならないと思います。
というか覚えておかなければいけないことです。
しかし、私もこの事実は、私のメールを読んでいただけている方から
教えていただき、知りましたので、
あまり偉そうに言えないのですが、しっかりと伝えていかなければ
いけないことだと思っています。

 ちなみに、
このポール・クローデルに、ジャポニスムなどの大いなる影響を与えた
姉カミーユ・クローデルこそ、実は、
19世紀を代表する近代彫刻の父と言われている
オーギュスト・ロダンの、優秀で美貌の弟子でした。

 ロダンは異常なほどの近視で、結局学校の入学試験には
ことごとく落ちて、独学で彫刻を学びました。
そのようなロダンをいつも支援してくれた姉マリアが、
ある日突然、彼の友人とのに恋に破れて自殺し、
それが原因でロダンは10年以上引きこもり生活を送ります。
その後、彼は、正妻となるローズに出逢って
また彫刻作品の制作に取りかかるのですが、
出来上がった作品があまりにリアルすぎて、
本当の人間の型を作って作品を制作したのだろうなどと疑われ、
失意の底に沈むのでした。
そこに登場してきたのが、実は、カミーユだったのです。
彼女は、ロダンの才能に憧れ、女性をアーティストとして認める
土壌がない19世紀の社会で、ロダンを通じて自己の才能を
発揮するわけですが、気がつくと、ロダンの愛人となっていました。
ところが、ロダンの正妻と言われたローズも実は内縁関係だったのです。
しかし、結局は、ロダンがあまりに優柔不断で、
最後はローズの元に帰ったことから、カミーユは精神に異常をきたし、
最後は、精神病院で一人亡くなりました。
 この背景に、19世紀の社会は、女性の芸術家を認めなかったという悲劇が
あったことは忘れてはいけないことだと思います。

 カミ-ユの残された写真を見るたびに、
私は、彼女のその美貌にいつもはっとして驚かされます。
でもその美女のカミーユが、ロダンの才能は評価しても
なぜそれほどハンサムでないどころか醜男といってもかまわないような、
また24歳も離れたおっさんでありながら、
そして優柔不断な性格のロダンに、精神を病むほどほれ込んだのは
私にはこのあたりよく知りません。

 まっこと男と女は、いつの時代にも不可思議なものだということは
言えますね。

 それにしても、ポール・クローデルは、日本文化をよく勉強しています。
「侘び」、「寂び」、「幽玄」から始まり、
「序破急」、「守破離」、「真行草」、「引き算の文化」など、
まさに混迷の世界が希求すべきものが、
その真髄として脈々と根底に流れているのが、日本文化なのです。
勉強していかなければいけないことがあまりにもたくさんあります。
世界の人があこがれる日本文化、
しかし、その文化の担い手である日本人が、実は
大切なものを、経済成長の中で豊かな物質文化を目指してきているうちに
どこかに忘れてしまってきていることは、
多くの人が最近、異口同音に訴えかけています。

 日本人の大きな忘れもの、早くとり戻す必要があります。
今ならまだまだ十分間に合うと思います。
そう思いませんか?


●中川幸夫、そして中川幸夫プレ美術館をご存知ですか?
 1918年生まれの中川幸夫氏は、今年92歳。
香川出身のふるさとが誇れる前衛いけばな作家です。

 三越高松店でも、この週末、生け花展が開催され、
池坊流、嵯峨御流、草月流、一生流と4流派が集合していましたので、
私も会場を覗いてきましたが、
スイセン、椿のほか、ロウバイなど、ほんと斬新な内容の作品、
驚かされる作品も多かったです。
少しずつ、華道界も変わってきています、

 最近、丸亀に中川幸夫プレ美術館が建設されたということで、
先日、休みを利用して伺ってきました。
 飯野山を東に正面に見る住宅地の中にあるこの美術館は、
うっかりすると見過ごしてしまうほど、
道路から一筋引っ込んだところにあり、わかりにくいですが、
ちっちゃなこじんまりとした美術館です。

 http://kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=1574

 中川幸夫氏は、子供の頃に、事故による怪我がもとで、
脊椎カリエスにかかったというハンディもあってか、
大阪に奉公に出かけた印刷屋も、やめて帰郷。
その後、祖父と叔母が行っていた池坊の生け花を手伝っていましたが、
1949年、31歳の時に、中川氏の作品を庭園家の重森三玲氏が認め、
それを雑誌に掲載することによって、
世に出ました。

 その後、白菜を生けた作品「ブルース」で、家元と衝突して、
それまでにも生け花界の決まりごとにも耐えられないこと多々あって、
結局は、花の命を見極めたいとの思いが強く、
花との格闘を生涯の仕事とする道を選び、
池坊を脱退し、前衛いけばな作家として独立しました。

 しかし、前衛いけばな作家として独立するということは、
流派に属せず、それは同時に発表の場を失うことであり、
それ以降、中川氏は極貧の生活が続いたようです。

 自作ガラスの中に枯れていくカーネーションの花々を詰めて
密封した作品の「花坊主」は有名です。
そのままにしておくと、1、2週間くらいで
萎れて、枯れて、腐ってしまいますが、
この腐っていく過程こそ、花が生きていることの証左であり、
枯れる間際も、美しく咲いている時以上に、
実は美しいのだと、彼は主張しています。
 また、めしべやおしべを生けた「チューリップ」など
その後続々と個性的な作品を発表し、注目を集めましたが、
特に、作品集「華」は、世界で最も美しい本の国際コンクールで
入賞したほどです。

 富山県砺波市で開催された、
空から100万枚のチュ―リップの花びらを撒く「天空散華」は、
舞踏家大野一雄氏のパフォーマンスもあって
大人気のイベントとなりました。
 大勢の人が河川敷で見守る中、ヘリコプターから撒かれる花びらが、
空中に舞う様相は、花の乱舞と言おうか、
あまりの花びらの多さに、
多くの人が目を釘付けにされていました。

 最近では、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」の題字を
書いていますが、中川氏は、ふるさとが誇れる素晴らしい人ですので、
ぜひプレですが、美術館にお出かけください。
作家早坂暁は、純粋に日本文化の表現に拘っている
中川幸夫氏のことをニッポニア・ニッポンとも称しているほどです。

 中川幸夫プレ美術館、平日はクローズしていますので、
出かける前にオープンを必ずご確認ください。
予約をしていけば、安心して見れます。
丸亀のバイパスの南側です。
その北側近くには、一鶴の骨付き鳥の石造りの大きなお店があります。

●今年2010年の恵方は?
 今年の恵方は、西南西の方向です。
恵方とは、十干により、その年の幸運を招く方角のことです。
東京のある新聞では、大手旅行エージェンシーが、
関東地方から見て、小豆島の方向が恵方ということで、
小豆島に出かけようキャンペーンを行っていると連絡がありました。
同じフロアの別の課の人が、掲載新聞まで届けていただきました。
ありがたいことです。感謝です。
今年の恵方は、西南西の方向です。
覚えていただくと、またいいことがあるかもしれませんね。
首都圏の皆さん、今年は香川に来てみませんか?
きっといいことありますよ・・・。

●金子みすずのモザイク画がギネスに認定
 「みんな違って、みんないい」(私と小鳥と鈴と)という詩で、
私たちを魅了している山口県長門市仙崎出身の
詩人金子みずずさんの顔を
12万枚のみんなの笑顔の写真をくっつけて作成した
縦約32m、横約43mのモザイク画が完成しました。
そしてこの作品が、世界最大のモザイク画として、
最近ギネスに認定されました。

 これまでのギネスの記録は、11万3千枚。
この長門のまちのこの異常な盛り上がりに、
うらやましきこと限りないです。
ほんとうに素敵な詩人です。
日本人の宝ものです。彼女の詩は・・・。
彼女は亡くなっても、彼女の精神はじっかりと生きています。

●情報発信
①たのしい恐竜一億年
 高松市牟礼町の石の民俗資料館では、
1月23日(土)の14時から16時まで、
「たのしい恐竜一億年」展を開催しています。
 当日は、サイエンスコミュニケーターの田中真士先生の
講演「楽しい恐竜の話と古生物アート」があります。
無料ですが、ぜひともおでかけください。
子供たちにはワンダーランドですし、大人も十分楽しめます。
1億5千年以上も続いた恐竜ワールド、
人類が出現してたかだかまだ500万年。
まるで、気が遠くなるようなこの違い。
恐竜には完全に負けています。(笑い)
 
②流政之 陶と書
 高松天満屋では、1月25日(月)まで、
5階フロアで、「流政之 陶と書」展を行っています。
流さんは、バレンタインが誕生日ですが、
なんと今年で87歳を迎えます。
老いてますます元気な流さんですが、
2008年から対岸の備前に出向き、備前焼を勉強されていて、
今回「流わん」を出品展示しています。
なかな味わいのあるフォルムや色合いですので、
ぜひ一度ご覧になってください。

 ちょうど私が訪問しました16日土曜日の午後にも
ご本人が会場に来られて、少しだけですがお話させていただきました。
釉薬を使わない備前焼は、実は窯から出るまで、
作家自身もどのような作品になって出てくるのか分からないのです。
だからこそ楽しいとも言っています。

 日本人は木の文化であることに反発して、始めたのが石の彫刻。
しかし、流氏の作品のサキモリシリーズは、
石でありながら、木の風合いです。
さらに秋には、確か御神木を使用したサキモリが完成すると
流氏は言っています。

 ゼロ戦パイロットとして3年間乗務。
裏千家の前千宗室とともに、明日の日本を支える若者として
生きて素晴らしい日本をつくるようにと
特攻隊志願を拒否された2人は、戦後それぞれ別の道を歩みますが、
しかし特攻隊を拒否されたことがトラウマとなって、
その後お互いに逢わなかったようです。
それがつい数年前に函館の大沼で再会しましたが、
その話をJR北海道の会長様から聞いて、
感動してしまったことを今では懐かしく思い出します。

 1967年、アメリカのタイム誌に、
日本を代表する5人の文化人として、
三島由紀夫、黒澤明、川端康成、丹下健三とともに紹介された流政之氏。
彼以外は皆さん亡くなり、今彼ひとりだけ生きていて、
私と話してくれる流氏のまなざしは、
とてもやさしく感じられました。

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(104)日本人の忘れ物

 二十四節気では、
1月20日に大寒を迎えます。
寒さもいよいよピークです。
時折、手袋がないと、指先が痛いほどの夜気の冷たさを感じます。
皆さん、風邪ひかないようにご自愛ください。

 前回、韓国の素晴らしい床暖房システムであるオンドルの話を書き、
オンドルの遺構が見つかり、その起源は、3世紀から4世紀らしいと
書きましたが、これは私の完全な記憶違いで、
正確には、紀元前4世紀から3世紀にかけての遺構から、
オンドルシステムがあったということが判明したので、
申し訳ありません、ここで訂正させていただきます。

 七十二候では、
小寒の次候の水泉動(地中で凍った泉が動き始める)から、
末候の雉始句隹(雄の雉が鳴き始める)の候です。

●世界中で、絶対滅びてほしくない民族は、どこ?
 第二次世界大戦で日本が敗戦濃厚と思われた1943年、
詩人で外交官のフランス人、ポール・クローデルは、
「日本人は貧しいが高貴である。世界でどうしても滅びてほしくない
 民族があるとしたら、それは日本人である。」と話しています。

 ご存知でしたか?

 これは、私たち日本人には、誇りにすべきほんとに素晴らしい言葉で、
今さらながらに、日本民族の素晴らしさ、日本民族の繊細さを痛感しています。
それは、「日本人の忘れもの」(石井英夫著)に書かれています。

 ポール・クローデルは、フランス人。
彼は、1921年(大正10年)から、1927年(昭和2年)までの5年余、
駐日フランス大使をしていました。
 彼はとても日本文化に造詣が深く、
当時、日本とフランスという国家間の揉め事もなかった時代も幸いして、
姉カミーユのジャポニスムの影響も大いにあって、
在日中、歌舞伎、文楽、能などを積極的に観劇。
また地方の城郭や神社仏閣を熱心に見てまわり、文化人とも親しくして、
日本文化の本も何冊か出版し、当時の親日派の代表格でありました。
 彼の大きな功績は、渋沢栄一と協同して、日仏会館を発足させたことでした。
このような人がいて、日本人が最大限の評価を得ていた時代が
あることを、私たちは忘れてはならないと思います。
というか覚えておかなければいけないことです。
しかし、私もこの事実は、私のメールを読んでいただけている方から
教えていただき、知りましたので、
あまり偉そうに言えないのですが、しっかりと伝えていかなければ
いけないことだと思っています。

 ちなみに、
このポール・クローデルに、ジャポニスムなどの大いなる影響を与えた
姉カミーユ・クローデルこそ、実は、
19世紀を代表する近代彫刻の父と言われている
オーギュスト・ロダンの、優秀で美貌の弟子でした。

 ロダンは異常なほどの近視で、結局学校の入学試験には
ことごとく落ちて、独学で彫刻を学びました。
そのようなロダンをいつも支援してくれた姉マリアが、
ある日突然、彼の友人とのに恋に破れて自殺し、
それが原因でロダンは10年以上引きこもり生活を送ります。
その後、彼は、正妻となるローズに出逢って
また彫刻作品の制作に取りかかるのですが、
出来上がった作品があまりにリアルすぎて、
本当の人間の型を作って作品を制作したのだろうなどと疑われ、
失意の底に沈むのでした。
そこに登場してきたのが、実は、カミーユだったのです。
彼女は、ロダンの才能に憧れ、女性をアーティストとして認める
土壌がない19世紀の社会で、ロダンを通じて自己の才能を
発揮するわけですが、気がつくと、ロダンの愛人となっていました。
ところが、ロダンの正妻と言われたローズも実は内縁関係だったのです。
しかし、結局は、ロダンがあまりに優柔不断で、
最後はローズの元に帰ったことから、カミーユは精神に異常をきたし、
最後は、精神病院で一人亡くなりました。
 この背景に、19世紀の社会は、女性の芸術家を認めなかったという悲劇が
あったことは忘れてはいけないことだと思います。

 カミ-ユの残された写真を見るたびに、
私は、彼女のその美貌にいつもはっとして驚かされます。
でもその美女のカミーユが、ロダンの才能は評価しても
なぜそれほどハンサムでないどころか醜男といってもかまわないような、
また24歳も離れたおっさんでありながら、
そして優柔不断な性格のロダンに、精神を病むほどほれ込んだのは
私にはこのあたりよく知りません。

 まっこと男と女は、いつの時代にも不可思議なものだということは
言えますね。

 それにしても、ポール・クローデルは、日本文化をよく勉強しています。
「侘び」、「寂び」、「幽玄」から始まり、
「序破急」、「守破離」、「真行草」、「引き算の文化」など、
まさに混迷の世界が希求すべきものが、
その真髄として脈々と根底に流れているのが、日本文化なのです。
勉強していかなければいけないことがあまりにもたくさんあります。
世界の人があこがれる日本文化、
しかし、その文化の担い手である日本人が、実は
大切なものを、経済成長の中で豊かな物質文化を目指してきているうちに
どこかに忘れてしまってきていることは、
多くの人が最近、異口同音に訴えかけています。

 日本人の大きな忘れもの、早くとり戻す必要があります。
今ならまだまだ十分間に合うと思います。
そう思いませんか?


●中川幸夫、そして中川幸夫プレ美術館をご存知ですか?
 1918年生まれの中川幸夫氏は、今年92歳。
香川出身のふるさとが誇れる前衛いけばな作家です。

 三越高松店でも、この週末、生け花展が開催され、
池坊流、嵯峨御流、草月流、一生流と4流派が集合していましたので、
私も会場を覗いてきましたが、
スイセン、椿のほか、ロウバイなど、ほんと斬新な内容の作品、
驚かされる作品も多かったです。
少しずつ、華道界も変わってきています、

 最近、丸亀に中川幸夫プレ美術館が建設されたということで、
先日、休みを利用して伺ってきました。
 飯野山を東に正面に見る住宅地の中にあるこの美術館は、
うっかりすると見過ごしてしまうほど、
道路から一筋引っ込んだところにあり、わかりにくいですが、
ちっちゃなこじんまりとした美術館です。

 http://kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=1574

 中川幸夫氏は、子供の頃に、事故による怪我がもとで、
脊椎カリエスにかかったというハンディもあってか、
大阪に奉公に出かけた印刷屋も、やめて帰郷。
その後、祖父と叔母が行っていた池坊の生け花を手伝っていましたが、
1949年、31歳の時に、中川氏の作品を庭園家の重森三玲氏が認め、
それを雑誌に掲載することによって、
世に出ました。

 その後、白菜を生けた作品「ブルース」で、家元と衝突して、
それまでにも生け花界の決まりごとにも耐えられないこと多々あって、
結局は、花の命を見極めたいとの思いが強く、
花との格闘を生涯の仕事とする道を選び、
池坊を脱退し、前衛いけばな作家として独立しました。

 しかし、前衛いけばな作家として独立するということは、
流派に属せず、それは同時に発表の場を失うことであり、
それ以降、中川氏は極貧の生活が続いたようです。

 自作ガラスの中に枯れていくカーネーションの花々を詰めて
密封した作品の「花坊主」は有名です。
そのままにしておくと、1、2週間くらいで
萎れて、枯れて、腐ってしまいますが、
この腐っていく過程こそ、花が生きていることの証左であり、
枯れる間際も、美しく咲いている時以上に、
実は美しいのだと、彼は主張しています。
 また、めしべやおしべを生けた「チューリップ」など
その後続々と個性的な作品を発表し、注目を集めましたが、
特に、作品集「華」は、世界で最も美しい本の国際コンクールで
入賞したほどです。

 富山県砺波市で開催された、
空から100万枚のチュ―リップの花びらを撒く「天空散華」は、
舞踏家大野一雄氏のパフォーマンスもあって
大人気のイベントとなりました。
 大勢の人が河川敷で見守る中、ヘリコプターから撒かれる花びらが、
空中に舞う様相は、花の乱舞と言おうか、
あまりの花びらの多さに、
多くの人が目を釘付けにされていました。

 最近では、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」の題字を
書いていますが、中川氏は、ふるさとが誇れる素晴らしい人ですので、
ぜひプレですが、美術館にお出かけください。
作家早坂暁は、純粋に日本文化の表現に拘っている
中川幸夫氏のことをニッポニア・ニッポンとも称しているほどです。

 中川幸夫プレ美術館、平日はクローズしていますので、
出かける前にオープンを必ずご確認ください。
予約をしていけば、安心して見れます。
丸亀のバイパスの南側です。
その北側近くには、一鶴の骨付き鳥の石造りの大きなお店があります。

●今年2010年の恵方は?
 今年の恵方は、西南西の方向です。
恵方とは、十干により、その年の幸運を招く方角のことです。
東京のある新聞では、大手旅行エージェンシーが、
関東地方から見て、小豆島の方向が恵方ということで、
小豆島に出かけようキャンペーンを行っていると連絡がありました。
同じフロアの別の課の人が、掲載新聞まで届けていただきました。
ありがたいことです。感謝です。
今年の恵方は、西南西の方向です。
覚えていただくと、またいいことがあるかもしれませんね。
首都圏の皆さん、今年は香川に来てみませんか?
きっといいことありますよ・・・。

●金子みすずのモザイク画がギネスに認定
 「みんな違って、みんないい」(私と小鳥と鈴と)という詩で、
私たちを魅了している山口県長門市仙崎出身の
詩人金子みずずさんの顔を
12万枚のみんなの笑顔の写真をくっつけて作成した
縦約32m、横約43mのモザイク画が完成しました。
そしてこの作品が、世界最大のモザイク画として、
最近ギネスに認定されました。

 これまでのギネスの記録は、11万3千枚。
この長門のまちのこの異常な盛り上がりに、
うらやましきこと限りないです。
ほんとうに素敵な詩人です。
日本人の宝ものです。彼女の詩は・・・。
彼女は亡くなっても、彼女の精神はじっかりと生きています。

●情報発信
①たのしい恐竜一億年
 高松市牟礼町の石の民俗資料館では、
1月23日(土)の14時から16時まで、
「たのしい恐竜一億年」展を開催しています。
 当日は、サイエンスコミュニケーターの田中真士先生の
講演「楽しい恐竜の話と古生物アート」があります。
無料ですが、ぜひともおでかけください。
子供たちにはワンダーランドですし、大人も十分楽しめます。
1億5千年以上も続いた恐竜ワールド、
人類が出現してたかだかまだ500万年。
まるで、気が遠くなるようなこの違い。
恐竜には完全に負けています。(笑い)
 
②流政之 陶と書
 高松天満屋では、1月25日(月)まで、
5階フロアで、「流政之 陶と書」展を行っています。
流さんは、バレンタインが誕生日ですが、
なんと今年で87歳を迎えます。
老いてますます元気な流さんですが、
2008年から対岸の備前に出向き、備前焼を勉強されていて、
今回「流わん」を出品展示しています。
なかな味わいのあるフォルムや色合いですので、
ぜひ一度ご覧になってください。

 ちょうど私が訪問しました16日土曜日の午後にも
ご本人が会場に来られて、少しだけですがお話させていただきました。
釉薬を使わない備前焼は、実は窯から出るまで、
作家自身もどのような作品になって出てくるのか分からないのです。
だからこそ楽しいとも言っています。

 日本人は木の文化であることに反発して、始めたのが石の彫刻。
しかし、流氏の作品のサキモリシリーズは、
石でありながら、木の風合いです。
さらに秋には、確か御神木を使用したサキモリが完成すると
流氏は言っています。

 ゼロ戦パイロットとして3年間乗務。
裏千家の前千宗室とともに、明日の日本を支える若者として
生きて素晴らしい日本をつくるようにと
特攻隊志願を拒否された2人は、戦後それぞれ別の道を歩みますが、
しかし特攻隊を拒否されたことがトラウマとなって、
その後お互いに逢わなかったようです。
それがつい数年前に函館の大沼で再会しましたが、
その話をJR北海道の会長様から聞いて、
感動してしまったことを今では懐かしく思い出します。

 1967年、アメリカのタイム誌に、
日本を代表する5人の文化人として、
三島由紀夫、黒澤明、川端康成、丹下健三とともに紹介された流政之氏。
彼以外は皆さん亡くなり、今彼ひとりだけ生きていて、
私と話してくれる流氏のまなざしは、
とてもやさしく感じられました。

(103)寒参りが始まり、小豆島はワンダーランド

 二十四節気では、
新年は1月5日に小寒を迎えました。
七十二候では、
小寒の初候の芹乃栄(芹がよく生育する)から、
次候の水泉動(地中で凍った泉が動き始める)の候です。

●島四国の寒参り
 小寒から大寒(1月20日)までに霊場を巡拝する
「寒参り」が、小豆島88箇所霊場で始まりました。
小豆島88箇所霊場は、四国88箇所の写しと言われており、
島四国のひとつであります。

 小豆島88箇所霊場は、
古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた
いわば神仏習合の信仰である修験道の舞台のようなところもあります。
私は、若い頃小豆事務所の勤務もあり、
休みを利用して、よくお参りしました。
小豆島町の1番洞雲山、2番碁石山から始まり、
88番の楠霊庵で終わります。
 お勧めは、たとえば、土庄町の72番滝湖寺奥の院笠ヶ滝は、
1本の鎖を頼りに急峻な岩場を登ってお参りする行場であり、
また、81番恵門の滝で行われる、
山肌をくりぬいた洞窟での護摩供養は、あまりにも神秘的です。
さらには、車でも登れる42番小豆島町の西の滝は、
池田港背後の山頂にあり、ここから見る瀬戸内海は、実に壮観です。
これらのコースは、実は外国人にもたいへん魅力的に映り、
小豆島のホテルに泊られた外国人には大人気です。
小豆島はほんとうにワンダーランドです。

 ちなみに欧米人は、たとえば、小豆島のホテルに5泊して、
そこを拠点として、小豆島内の観光はもちろんのこと、
道後温泉、安芸の宮島、徳島鳴門、高知などに出かけていき、
またその日のうちに小豆島に帰ってくるというような
驚くべき滞在型の観光をしています。
そういうことを、今から、6年ほど前にホテル業界の方から教わり、
ほんとうに目ウロコでした。
日本人を始め、アジアの方とはまったく違う旅行形態に驚いたことを
今でも鮮明に覚えていますし、その方には今でもいろいろ
教授していただいてます。
 私のように行政は、観光の最前線にいながら、
しかし意外と現場を知らないものです。
だから常に自戒し、アンテナを張り巡らし、
こういう方たちを如何にたくさん知って情報をいただくかが、
現場の現実を知るよりどころとなっています。
ほんとうに貴重な人のネットワークです。
大切にしないと罰が当たります。

 四国88箇所も素晴らしいところですが、
島四国小豆島88箇所霊場にもチャレンジしてみると、
小豆島のまた新たな魅力が体感できます。
21日が弘法大師の御入定日なので、
初大師である1月21日には、
島開き法要が営まれ、春のお遍路シーズンが幕開けします。

 ちなみに、金刀比羅では、各月10日にお祭りが組まれ、
1月10日は、初金毘羅が開催されました。

●年明けのうれしいプレゼント
 年末年始直後の1週間連続勤務がちとしんどかった人も、
この3日間で、リフレッシュした方も大勢いると思われます。
(でも観光業界や運輸業界などでは、年末年始に休みもなく、
 がんばっておられます。)
 我が職場では、1月から勤務時間の見直しがあり、
ここ数年、12時15分からスタートして45分だった昼休みが、
今年の1月から、12時スタートの1時間と15分ほど長くなり、
かつての勤務時間に戻りました。
 
 たった15分のことなのですが、
これがほんとうに素敵な贈り物となって、
大勢の職員に喜ばれています。
わずか15分の延長ですが、
毎日お弁当ばかりだった人も、
たまには少し足を伸ばして遠出した食事できますし、
12時開始の昼休みは、
ほとんどの民間会社と同時に昼休みにはいれますので、
従来のように15分遅れで訪れた時には、
お店はいつも超混雑とは状況は違っています。
 また、貴重な時間を利用して心身のリフレッシュを図っている職員には、
たとえば、私も出来るだけ昼休みには戸外にでて、歩いていますが、
それが少し余裕を持ってできるようになりました。
食事をすばやく済ませれば、なんと先日は往復30分かけて
近くの石清尾八幡宮にもお参りできました
わずか15分の違いですが、午後からの仕事の能率がかなり違うのですから、
職員にとっては、今回の見直しはいい改革だと思います。
ほんとに、年明けから素敵なお年玉をいただいたようで、
感謝です。
 昼休みに見る職員の顔が、どことなく幸せそうに見えると感じているのは、
私だけではないはずです。
昼休みは貴重なリフレッシュ時間ですので、
今後とも大切に活用していきたいと思ってます。

●人日の節句
 先日1月7日は、五節句のひとつ「人日の節句」でしたが、
七草粥を食べられましたでしょうか?
(本来なら1月1日のようだが、現代では、
 便宜上1月7日としているようであります。)

 節句は、季節の変わり目、家族らが揃ってつつがなく過ごすための
行事で、1年では五節句あります。
邪気を払うということで、その習慣は中国から伝わりました。
七草は、せり(セリ)、なずな(ナズナ=ぺンペン草)、
ごぎょう(母子草)、はこべら(ハコベ)、
ほとけのざ(コオニタビラコ)、すずな(カブ)、
すずしろ(ダイコン)です。(括弧内は、現代の名前です。)
お酒も食養生でセットになっており、この節句では、
言うまでもなく屠蘇で、旬の精気を取り込むのです。

 現代では、さらに年末年始の暴飲暴食で弱った胃にやさしくという意味で、
また、最近は、デパートやスーパーでも、
セット商品として売られていますので、
買われて作られた方も多いと思います。
 古代中国では、正月は動物を殺生しないようにということで、
1日から、鶏、犬、豚、羊、牛、馬と日付ごとに殺さないようにしており、
7日は、人を処罰しない習慣があり、それで
人日の節句と名づいたようです。
平安時代中期に編纂された律令の施行規則ともいうべき「延喜式」のほか、
ご存知「土佐日記」や「枕草子」にも七草粥の記述がありますが、
江戸時代は、将軍以下大名やほとんどの武士が、公式行事として、
七草を食べて祝ったという記述が残っています。
 こういう習慣は、季節感を感じる一番のもの。
大切にしていかないといけません。

●お便りあれこれ・・・
 年末年始には、寒波が訪れ、お隣韓国では、今年も氷点下の寒さに
凍えていますが、今年は特に雪が多く大雪ですというお便りを、
韓国ソウル南の京畿道(キョンギドウ)で
香川の情報発信をしていただいているさぬき大使館の
さぬきうどんのお店「山田家」さんからメールでいただきました。
でも子供たちはでも大喜びだそうです。
 韓国は緯度的にも日本の北に位置し、冬は寒く厳しい日が続いていますが、
実は、室内はとっても暖かです。
床暖房のオンドル効果です。
オンドルシステムは、実は、3世紀から4世紀にかけての建物遺構から、
もう既に存在していたということですが、
ほんとうにあったかです。
 昨年、訪韓した時に、
ソウルやその周辺の京畿道(キョンギドウ)では高層マンションが
林立していますが、その1室を縁あって訪問させていただきましたが、
ほんとうにあったかでした。
日本のように屋外のバルコニーがなく、
バルコニーもサンルームのようなひとつの部屋になっていて、
洗濯物はそこで干していました。
だから、部屋がかなり広い印象を受けました。
観光地ばかりの訪問ではなく、
こういう旅行ができたら、ほんとうにその国が好きになります。
民泊もこれからは、参加体験型のひとつのメニューとして
増えてくると思います。
そこで大切なことは、普段の生活を体感することだと思います。
折角の民泊も、終始お客様扱いで、立派なご馳走ばかりでは、
興ざめですね。

●論語ブーム
 論語とは、孔子(前551年~前479年)の没後、
孔子の弟子が、孔子の言葉や弟子との問答をまとめたものですが、
日本には、6世紀初めに伝わったとされています。
昨年、論語の素読と、能の仕舞いを学校教育にと提唱しましたが、
世は、まさに論語ブームの兆しがあるので、私も驚いています。
さらには、2011年から、
新学習指導要領で、小学校国語の授業に、
「伝統的な言語文化に親しみ、継承発展させる態度を育てる」内容を
取り入れることとなっていることも初めて知って、
自分の言って来たことが現実味を帯びてきて、
うれしい限りです。
 論語は子供たちにもますます
身近かな存在になっていくと思われます。

「過ちて改めざる、是を過ちと謂う」

「性、相近し、習い、相遠し」


●さぬき発 与一の矢 その4
~眼からうろこの落ちるさぬきの話 キラリと光る時代の一コマ~
「歴史に無関心なほどもったいないものはない」
(調査月報2009年10月号再掲)

4 讃岐は、天狗も狸も一流です…
 坂出に天狗(相模坊)がいると言われていますが、ご存知ですか?
日本八大天狗の一狗、相模坊は、世阿弥の謡曲「松山天狗」や
上田秋成の「雨月物語」にも登場する天狗です。

 1156年保元の乱で敗れた崇徳上皇が讃岐のこの地に配流され、
8年後の46歳の時に悲運の生涯を閉じましたが、
相模坊はひたすら上皇の御霊前に仕え、今も守護し続けています。

 讃岐には、いわゆる「讃岐三天狗」がいます。
それは、白峯相模坊(謡曲:松山天狗の主人公)の他に、
琴平の「金比羅金光坊」、牟礼の「八栗中将坊」です。
その3天狗を含めて、日本5大天狗と言われるのは、そのほかに、
大峰山の前鬼と鞍馬山の僧正坊が入ります。
 参考ですが、日本全国の狸の総大将が屋島にいます。
ジブリ映画「平成ぽんぽこ合戦」で、全国狸の総元締めとして
紹介されたあの狸で、屋島の太三郎狸です。
そのほかは、佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸です。

●情報発信
①心あたたまる県庁東館ギャラリーでの展示会のお知らせ

 東館ギャラリーでは、
「瀬戸大橋 与島・鍋島フォトコンテスト」
(審査員:高橋毅先生)の優秀作品展を実施しますので、
ぜひご覧ください。

■開催期間 : 平成22年1月12日(火)~15日(金)
■展示点数 : 18点+当協会の与島での取り組み紹介

 また、Web上にも優秀作品を掲載しています。

  URL:http://www.my-kagawa.jp/photocon09/

 観光写真素材として、自由にダウンロードして
ご使用いただけますので、こちらもぜひご活用ください。

【同時開催】
 頭も靴もぴっかぴか!「さぬき高松光頭会」写真展
 
 お庭の国宝「栗林公園」で観光客を明るくおもてなしする
「さぬき高松光頭会」の活動の様子を写真で紹介します。

 1月12日(火)には、
靴の土埃払いのデモンストレーションも行います。 
光頭会の皆さんから元気もらえます。

 ■靴の土埃払いのデモンストレーション 
  1月12日(火)11:30~13:00 
   県庁東館1階ギャラリー前にて

 頭も靴もぴっかぴか!「さぬき高松光頭会」写真展

 日本を代表する大名庭園である「栗林公園」で
観光客を明るくおもてなしする「さぬき高松光頭会」の活動を
写真で紹介しています。
 
 「さぬき高松光頭会」のおもてなしは、
靴やズボンの裾の土埃払い。
 栗林公園は、日本を代表する大名庭園で、
ミシュラン三ツ星庭園にも認定されていますが、
実は唯一つの欠点があります。
それは、晴れの日に園内を散策すると、
靴やズボンの裾が土埃でまっしろになってしまうことです。
これでは折角の公園の素敵な印象も台無しです。

 そこで、「さぬき高松光頭会」では、
三ツ星庭園に認定されたことをきっかけに、
それにふさわしいおもてなしができないものかと考え、
靴やズボンの裾の土埃払いサービスを始めました。

 サービスを開始したのは、2009年4月からです。
でも、最初は、出口で待つ「さぬき高松光頭会」の方たちの
埃払いサービスに戸惑った方がとても多かったのですが、
十分な説明をしますと、
このサービスが、実は全国どこにもないほど心あったまる
サービスだと思い、皆さん大喜び。
何も広報しなくても、口コミでこの情報は広まり、
各メディアも次々と取り上げる始末。
いまや全国区のサービスともなっています。
わざわざ、「さぬき高松光頭会」の方たちに
逢いに来られる人々もいます。

 今回は、心温まる「さぬき高松光頭会」の活動状況や
お客様の反応などの写真や意見を展示して、
その活動を広くお知らせしょうとの企画で、
写真展を行いますので、ぜひご覧ください。
ユーモアもあり、ふれあいもあり、心あったまること、
間違いないです。

○展示内容:写真やお客様の感想などを展示
○「さぬき高松光頭会」とは・・・
 発足は、2008年10月15日(現在メンバーは15人)
 会員の皆さん、見事なくらい全員頭がピカピカです。
 会長・・・溝内正隆(みぞうち まさたか)氏
 きっかけ
   せちがらくなって来た現在、何か社会を照らすことを
  して、多くの皆さんに元気になってほしい、ひとりでは
  できないことも、共通項を持っている人間が集まれば、
  それは一つの力になるはずだということで、身近かに
  若くして髪が少なく悩んでいた人たちが偶然にも数人
  いて、共通の悩みを持つ自分たちなら、何か社会のために
  役立つことができるのではないかと、動き始めました。
   カーブミラー磨き、トイレ磨き、そして、栗林公園の
  靴やズボンの裾の土埃払いサービスと展開してきています。
 
 活動状況・・・2月末までは寒さのため、活動は一時お休み
        ですが、3月から活動開始。毎週土日祝日の
        14時から16時まで、原則2人1組で、
        栗林公園東門駐車場出口辺りで活動して
        います。
 
 お客様の反応・・・「感動した」、「こんなことは全国でも
        経験ない」、「初めてで心が揺さぶられた」
        などの声が多く、それらの声に「さぬき高松
        光頭会」の方は更にパワーアップしています。

  ぜひ一度、帰宅時間やお昼休みにでも立ち寄って、
 ご覧ください。
  おかしくて、人と人とのふれあいがあって、とっても
 心あったまります。

       連絡先
        ・(社)香川県観光協会 荒井
          直通電話 087-832-3377
          県庁内線 3544

        なお、さぬき光頭会については、
        観光振興課長 那須まで(内線3501)
        お気軽にお問い合わせください。
 
②第56回日本伝統工芸展、ぜひお越しください。
 香川県立ミュージアムでは、17日(日)まで、
日本伝統工芸展を開催してますので、ぜひ覗いてみてください。
一見の価値ありの素晴らしいため息のでる技術のオンパレードです。
漆芸101点、陶芸72点、木竹工39点のほか、
金工、染織、人形など300点の作品が展示されています。
人間国宝(重要無形文化財保持者)の作品41点、
香川在住作家も29点展示されています。
かがわ美術ボランティアによるギャラリートークで
作品を解説していただきますと、ほんとうによくわかります。
ぜひともご利用ください。

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

(102)新年あけましておめでとうございます。

 二十四節気では、
昨年12月22日に冬至を迎えて、
新年は明日1月5日に小寒を迎えます。
七十二候では、
冬至の次候の麋角解(大鹿が角を落とす)から、
末候の雪下出麦(雪の下で麦が芽を出す)の候です。

●新年、明けましておめでとうございます
 改めまして、新年、明けましておめでとうございます
今年、ここ香川は元旦から澄み切った晴天で新しい年を迎えました。
瀬戸内海もとても素敵できれいでした。
元旦の初日の出をご覧になられた方も大勢おられたことと思います。

 個人的には、
年末休みは年賀状作成に終始して、気がつけば凍てつく寒さの大晦日。
日課となっている昨年最後のウォーキングも夜早くに済ませ、
帰宅後は、久しぶりのテレビ見ながら、
「嵐」のコスチューム早変わりの謎が解けないまま、
悶々と年を越し、元旦から恒例の餡餅雑煮を食べ、満足。
足は自然に今年も公園に向い、穏やかな天気のもと、
大勢の観光客や家族連れでにぎわう栗林公園をのんびりと散策。
今年も平和な日々が続きますようにと祈ったところであります。

 しかし、ニュースで東日本や日本海側では、
大雪に見舞われたところも多くあることを知り、
日本列島、南北に長いなあと感じ入った次第。

 なるほど、でも、世界地図を広げてみて、
日本列島は、なんと揚子江の長さの半分、
流域面積の3分の1しかないことがわかり驚いたのはつい最近。
ほんとうに世界地図は必携です。
寝る前によく世界地図を見ていますが、夢は広がります。

 日本は、ほんとうに狭い島国ですし、
ほんと中国、いや世界は恐ろしいほど広いです。
イギリスなどのヨーロッパの人々が、
日本を東の果てFAR EASTと呼ぶのも
よく理解できます。
そして、たとえばイギリスでは、
ほんの少し前まで日本人の留学生は意外と少なく、
日本の情報がそれほど届いていなく、
うそのようなほんとの話ですが、
ウオークマンがSONYから出されたときも、
SONYが日本の企業とは知らない人が多かったし、
イギリスの教科書でさえ、日本人は現代でもちょんまげを結っているとの
間違った情報も掲載されていたほどで、
それほど、最近まで情報不足だったのです。
世界は、ほんと広いです。

 話は戻って、そして、元旦の夜は、
多くの方があったかい室内で一家団欒していて
気づいた方も少ないと思うのですが、
凍てつく寒空に久しぶりに満月を迎え、幸いにも元旦夜の天気は、
満月を鑑賞するには、時折雲に隠されたりしましたが、
「月も雲間のなきは嫌にて候」のとおり、
風情を感じることが出来ました。
2日の夜も、きれいで素敵なお月さまでした。
見ていて惚れ惚れするくらいの神々しさでした。

 そして、それと同じく感動することがひとつ。
2日には、サッカー全国高校選手権で、
ふるさと香川の代表「香川西」高校が、
なんと昨夏の全国高校総体を制し今大会でも優勝候補筆頭の
群馬県代表の前橋育英を3VS2で見事3点を守りきって破り、
昨年に続いて千葉県の市立船橋公高校に続き、
連続の強豪破りということで、うれしい便り。
群馬県関係者には、ほんと申し訳ないですが、
香川、久しぶりのスポーツ界の明るい話題でした。
惜しくも、山梨学院大学付属高校との対戦で破れ、
8強はかなわなかったものの、
あと一歩だったのです。
このチームの今後の活躍に期待したいです。

●今年は世界的にもビッグイベント目白押し
 今年は、地中海マヨルカ島への
ジョルジュ・サンド男爵夫人との逃避行など
ドラマチックな恋愛でも有名なポーランド出身の作曲家
フレデリック・フランソワ・ショパンの
生誕200周年の記念すべき年です。
 ショパンは、39歳の若さで夭折しましたが、
日本人はほんとにショパンが大好きです。

 盲目のピアニスト辻井伸行さんが、2009年の
バン・クライバーン国際ピアノコンクール
ショパンのピアノ協奏曲第1番などを演奏して優勝したのは
実に記憶に新しいところです。
楽譜が見えない彼にとって、幼いときから
ショパンの曲には、体が反応したとの逸話もあるようです。

 そのほか、
2月12日からのカナダバンクーバー冬季オリンピック、
5月1日から半年間開催予定の上海万博、
6月11日から始まるFIFAワールドカップ2010南アフリカ大会など、
国際的大イベントが引き続いて見白押し開催される中で、
国内でも4月24日から、
もう二度と奈良に都が戻ることもなかったけれども、
寺社も他の都にはついていかず、その結果、素晴らしい古都となった
平城京への遷都710年から数えて1300年祭が開催されます。

 と同時に、
わがふるさとでも、
3月17日から12日間繰り広げられる第2回高松国際ピアノコンクール
7月19日からの世界初の島々を舞台にした芸術祭「瀬戸内国際芸術祭」も
開催され、これだけでも、今年1年、明るい兆しが見えてくるようです。

 大勢の皆さんに来ていただき、
香川に来てほんとによかった、またぜひとも訪ねたいとひとりでも多くの方に
思っていただけるようなおもてなしを心がけたいと思っていますし、
関係業界の皆様にもご協力をお願いしているところですが、
この機会にさらに徹底していただければと思っています。

●しかし、世の中は・・・
 しかし、これほど明るい話題が続くというのに、
どこを見ても先の見えないデフレ不況三昧のニュースばかり。
暗いニュースしかないのかと思うくらい、マスメディアはこぞって
暗い悲惨なニュースを特集してます。

 世の中には、その数倍も明るく心が暖かくなるニュースが
山とあるにも関わらずです。
いつからこのようなペシミストの世界になったのか・・・。

 欲を言えばキリがなく、上を望めば限りがありません。
どこまで行けば満足するのか、おそらくそれ際限のない宇宙のよう。
だのに、現状に満足せず、欲望は果てしないのです。
生きていることが幸せ、
何の憂慮もなく明日という未来を迎えられる以上に
この世に幸せがあるのでしょうか!

 幸せと意識しないそういう時間が、実は振り返ってみると
一番幸せだと気づくときは
もう幸せでないのかもしれません。
それでも思い方如何によって、いくらでも幸せになれます。
しかし現実には、明日すらも生きられない人が世の中には数多くいます。

 知り合いが今、入院して、年末にお見舞いに行きましたが、
病院は、大勢の見舞い客や付添い、関係者などで
恐ろしいくらいごったがえしていました。
年末年始は、一時的に退院する人が多いと聞いていましたので、
年末年始を病院で過ごす人の多さには
改めて驚き、家でのんびりできる自分の幸せを実感した次第です。
こういう場所に来ないと、当たり前の幸せに気づかないところです。
早く元気になってほしいと思いながら、病院を去りましたが、
ほんとうに健康第一番と痛感しました。

ましてや、世界では、今日明日の食べ物、飲料水にさえ困窮する人が、
なんと何億人もいます。
日本は、高齢化問題などは、長生きするのが何か悪いような論調で、
マスコミも多く取り上げていますが、
高齢長寿社会の実現は、古の時代から多くの人があこがれたものであり、
日本社会に深く根付いています「道教」の究極の目的である、
仙人になって長生きする思想(=神仙蓬莱思想)にも合致するわけですが、
現代日本ではどうしたことか高齢化はどうもマイナスイメージが強く、
あまり好ましくない言葉となっています。

 でも、よく考えてみますと、
高齢化社会というのは、医療制度がしっかり整っていて、戦争・内戦のない
平和な国や地域でなければ実現不可能なものであり、
そういう意味では、エイズや難病、内戦問題で激しく揺れるアフリカの
一部の国々では、高齢化社会は、ある意味憧れの状況なのだということを
忘れてはいけないと思います。
今はなきユーゴスラビアのサラエボの
華やかなりしオリンピックスタジアムは、
今は内戦で亡くなった戦士たちの
墓標であふれかえっていて、当時の面影はありません。

 今の生活レベルを、1割、2割落としてみませんか。
それで生活すると、確かに不便にはなるが、
次第に見えてくるものがあるはずです。
豊饒な生活では見えないものが見えてきます。
便利さには必ず落とし穴があります。
その背後で失っていくものがあります。
はやくそれに気がつくべきですし、
一番早い方法は、できるだけ自身から率先して、
便利さを少しずつでも受け入れない生き方だと思います。
少しでも頭の片隅に、今年1年覚えていただければと思います。
今年も不便を出来るだけ享受できる生活を送ればと思います。

●お正月は、栗林公園にも大勢の人が、訪れてくれました。
 天気にも恵まれ、お正月は大勢の入園者で
栗林公園はにぎわいました。

 「大名庭園で過ごす優雅なお正月」は、新春を祝う多彩な催しで
今年も幕を明けました。

 元旦1日の10時からは、年明けうどんの無料配布がありましたが、
8時過ぎから並び始め、その列は東門を出て、中央通りにも続くかと
思うほどの長蛇の列、用意していた千個は、
30分もしないうちになくなってしまいました。

 また、2日の、讃岐名物「あんもち雑煮」のお接待は、
11時前には、用意していた450杯の列が打ち止め。
その後、約2時間をかけて皆さんに召し上がっていただきました。
何人かの人にお話お伺いしましたが、
初めて食べる県外の人たちには、
お雑煮としてはたいへん違和感があるけど、
スイーツの新しいバージョンということではたいへんおいしいと
大好評でした。
意外と驚いたのは、自宅でも餡餅雑煮なのだけど、
比べるという意味で食べに来た方も多く、
そういえば、昨年の春に「てくてくさぬき」の
さぬきの食フェスタで日替わりで提供した
県内餡餅雑煮の微妙な味めぐりには、驚いた次第でした。

 餡餅雑煮の起源は、いまだにはっきりしていませんし、
和三盆の原材料の提供地である引田がすまし雑煮であり、
餡餅以外の雑煮もけっこう存在している香川ではありますが、
それでも香川の一つの食文化としては、
定着していると言えると思います。
餡餅雑煮の起源については、また調べてみようと思っています。

 香川では、現在、年間を通じて餡餅雑煮が食べられるお店は、
栗林公園内の「花園亭」、坂出の「水尾醸造所」のほか、
金時人参に拘って、それが提供できる3月末までの期間限定メニューとして、
高松片原町西商店街の「えびすや」と「茶房和の小箱」が
餡餅雑煮を提供していますので、
ぜひこの機会にお訪ねくださり、お召し上がりください。
美味です。

 また、第26回全国福の神集合ということで、
新春の縁起物、福がある云われているもの、干支に因んだものなど
郷土玩具を全国から集めて展示即売しています。
本渋引き一閑張りの「再生家具展」も同時開催しています。
6日(水)(9時~16時30分(但し、最終日は16時まで))
場所は、商工奨励館北館で開催していますので、
ぜひおいでください。

 さらに、お正月の盆栽展示即売会ということで、
本県特産品の松盆栽(黒松・錦松・五葉松)や山野草を産地価格で
展示即売しています。
こちらは、7日(木)
(9時~16時30分(但し、最終日は15時まで))までで、
商工奨励館前で開催しています。

 本年もまた皆様にはいろいろお世話になります。
ご指導よろしくお願いいたします。

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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