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(106)春は誰にもやってきます !

 二十四節気では、
季節を一巡して旧暦の最初である立春を2月4日を迎えます。
日本一高いところにある前方後円墳のある若草山の山焼きも終り、
暦の上ではもう春になりますが、
しかし、寒さはまだまだ厳しさが残ります。
お隣韓国も、今年は特に寒さが厳しく、
数年ぶりの大雪だったようです。
私も最近韓国浦項市で氷点下の世界を経験しましたが、
皆さん、風邪をひかないように、
どうかくれぐれもご自愛ください。

 七十二候では、
大寒の末候の鶏始乳(鶏が卵を産み始める)の候から、
立春の初候の東風解凍(東風が厚い氷を解かし始める)の候です。

●旧暦感覚も大切に・・・
 もうすぐ2月3日、節分です。
節分といえば、2月3日だけと思いがちですが、
各季節の始まりの前の日が節分ですので、
立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日が
節分になりますので、年間で4回ほどあります。

 古来から宮廷行事であることは、
延喜式でも見られるところでありますが、
立春の前日の節分と言えば「豆まき」ですね。
最近では「恵方巻」も有名です。

 恵方とは、十干(じっかん)により、
その1年間の幸運を招く方角のことであり、
1年間の福徳をつかさどる神、
歳徳神(としとくじん)のいる方角とされており、
今年の方角は「西南西」となっています。

 このごろは、いつの間にか太巻き寿司を切らずに、
恵方に向かって話をせずに、
丸ごと食べる事で、1年間良い事あるように言われており、
お寿司屋以外でも、たとえばコンビ二などで予約を取っており、
巻き寿司が特によく売れています。

 なぜ巻き寿司なのか、ご存知でしょうか?
諸説ありますが、太巻きは「福を巻き込む」からと考えられ、
丸ごと食べるのは、「縁を切らないために包丁で切らない」と
言われています。西南西に向かって、太巻きを丸かじりしませんか?

 バレンタインのチョコしかり、この太巻きしかり、
うまくストーリを考えて、商品を売っていくことの重要性さ、
この時期になると、痛感しています。
そういう意味では、「年明けうどん」も、
今年は商標使用が一挙に増加しました。
年越しそばは、せいぜい2日間ですが、
年明けうどんは、2週間くらいは使えそうです。

 日本の奄美諸島などでは、旧正月を祝う習慣が
まだ残っているようですが、中国、台湾、韓国、ベトナムなどでは、
新暦の元旦より、派手にお祝いします。
台湾でも旧暦の1月1日は、確か今年は2月14日ですが、
春節として、派手なお祝いをしますし、お土産を持ってふるさとに帰る
民族大移動もあります。
先月下旬に台湾に出かけた時には、
学校は冬休みに入り、忘年会シーズン真っ盛りでした。
今年の冬休みは、4週間ほどあって、長い冬休みです。
街中は忘年会を楽しむ人が多く見受けられました。

 余談ですが、風水によれば、昔から鬼門は丑寅の方角、
すなわち、北東方向ですね。
邪悪なものが侵入してくるということで、鬼門として
その方向に毘沙門天を配置しています。
鬼がよく角を出し、虎の毛皮のパンツをはいているには、
丑の角と虎のパンツという、丑寅の方角を意識して
古来の方が描かれたものとして記憶しています。


●まさか卑弥呼が讃岐に・・・
 先頃、古代史をにぎやかにした事件がありました。
ご存知、邪馬台国と言えば、歴史があまり好きでない人も
興味を抱く話題ですが、しかし、現在では、もう畿内説に軍配が
挙がったかなと思われるほど、畿内説が大勢を占めているようですが、
実は、九州説、畿内説、まだいずれも確定したわけではなく、
今だに、邪馬台国が当時いったいどこにあったのかが
古代史の最大の謎であると言っても過言ではなく、
多くの素人考古学者も巻き込んで、
話題になる度に強い関心を集めています。

 邪馬台国は、個人的にもたいへん関心のある話題で、
1970年代の前半から少しずつ発掘されて出土していた
佐賀県の吉野ヶ里遺跡が、本格的な環濠集落と判明した時の
九州説支持者の喜びは、おそらく想像を超えるものだと思います。
私も吉野ヶ里遺跡を訪れましたが、のどかな田園風景の中に
環濠集落が突如出現、空に突き出し一際目立つ高層の
物見櫓に圧倒されたことを、今でも懐かしく思い出します。

 畿内説の有力候補地は、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡ですが、
このたび国立歴史民俗博物館の研究グループが、
早稲田大学で開催した日本考古学協会の総会で、
「放射性炭素年代測定法」によって、その大部分の古墳が、
3世紀前半の築造であるとする見解を発表しました。
邪馬台国の所在地の記述については、
中国の古書「魏志倭人伝」に見られます。正確には、
邪馬台国ではなく、「邪馬壹国」と記述されています。
卑弥呼までは、男性の王が治世していましたが、
戦乱が相次ぎ、それを止めるために、女性である卑弥呼
2世紀後半に擁立され、239年に中国に朝貢するなど、
3世紀前半を中心に栄えたとされています。

 卑弥呼がいつ亡くなった(殺された)のかは、
具体的な記載がありませんが、現在では、
248年頃に死亡というのが通説のようです。(日食を予言出来なかったから・・・)
 今回の「放射性炭素年代測定法」は、出土した炭化物の
残存炭素量を測定した結果ですが、それを総合的に判断して、
およそ西暦250年頃の築造と推定しました。
そして、纒向遺跡古墳群の中でも、
卑弥呼の墓と推察されているのが、
巨大な前方後円墳である箸墓(はしはか)古墳です。

 日本書記によると、この箸墓古墳は、
実は、百襲姫(モモソヒメ)、
(倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)とも言う))の墓として、
紹介されています。
百襲姫は、第7代孝霊天皇の皇女であり、
大和朝廷の初代崇神天皇のそばに使える巫女のような存在であつたと
同書には描かれています。
そして、後に、三輪の大国主命(おおくにぬしのみこと)と結婚します。
三輪の大国主命は、大物主神ともいいますが、
彼は、百襲姫を訪れるのですが、それはいつも昼間ではなく、
夜にだけきて、けっして姿を見せません。
ある夜、どうしても話を聞きたくて、
百襲姫が、「ぜひ姿をお見せください、あなたの姿が見たいのです」と懇願し、
「絶対に驚かないと約束できるなら、
明日の朝、櫛箱を開けてみなさい」と夫である大国主命が言ったので、
翌日、実際に、百襲姫が箱を開けると、そこにはなんと、
大国主命ではなく、白い大蛇がいたのでした。
当然、百襲姫は驚きましたが、驚かないと約束したのに
大いに驚き悲鳴まで挙げ泣いたので、
大国主命は自分に恥じをかかせたと怒り、
三輪山へ逃げ込んでしまいました。
大国主命は、実は、三輪山の蛇神だったのでした。
残された百襲姫は、約束を守らなかったわが身を恥じ、
悩み、絶望のあまり、自らの陰処(ほと)を箸でついて、
果ててしまいました。
箸墓古墳の「箸墓」の由来は、実はここにあったのです。

 百襲姫が、実は、中国の「魏志倭人伝」にでてくる
卑弥呼と同一人物ではないかという説は、
上述した魏志倭人伝などの文献によると、
卑弥呼の死んだ時期(248年)と、箸墓古墳がが作られた
古墳時代のはじめというのが、近年では同時期と見られていること、
記述されている卑弥呼の墓の大きさと箸墓の後円部分の
大きさ(約160㍍)がほぼ符号すること、
そして、シャーマニズム的な性格が共通するなどの点から、
よく言われている説です。(箸墓古墳)

 そして、このたび報道された「放射性炭素年代測定法」の結果が、
より卑弥呼説を裏付ける根拠になったのでした。
今後の展開がとても楽しみです。
 
 ところで、讃岐一宮=田村神社の5祭神のうちの一人が、
実は、この百襲姫であり、
もしかしたら、卑弥呼を祭っている可能性があります。
田村神社は、昨年2009年に、創建1300年を迎えています。

 百襲姫は、上述しましたように、第7代孝霊天皇の皇女ですが、
幼女のときから、神のお告げを受け、占いなどに長けていたようですが、
8歳の時、父親や兄弟とともに手分けして、
西海鎮定のために旅にでて、百襲姫は、讃岐に来られ、
引田に上陸、水のおいしいところということで、
現在の水主神社あたりで、お屋敷を構えました。
大内というのは、内裏(だいり)の名残りとも伝えられています。
水主では、20歳までの12年間を過ごし、
この間、多くのため池を作らせ、
おいしい米作りに寄与したと言われています。
元祖ため池づくりと言ってもいいと思います。

 その後、西進し、現在の高松市の田村神社(創建709年・藤原京の時代)
あたりで落ち着き、5年ほどして、朝廷に帰りました。
ちなみに、百襲姫の弟は、例の桃太郎伝説の桃太郎であった、
五十狭芹彦命(吉備津彦命・きびつひこのみこと)と
稚武彦命(わかたけひこのみこと)です。
いずれも孝霊天皇の子供たちです。
 
 参考ですが、神話(古事記)では、麦は米とともに重宝されてきました。
須佐之男命(すさのおのみこと)に殺された食べ物の
神さまである大気津比売(おおげつひめ)の神の亡骸から
蚕や5種の穀物が生まれたと言われ、
陰処(ほと)に生えたのが麦だと言われています。

 以上、出典
さぬき発 与一の矢 その4
~眼からうろこの落ちるさぬきの話 キラリと光る時代の一コマ~
「歴史に無関心なほどもったいないものはない」 那須著です。
(調査月報2009年10月号から)

●今週の倫理648号から
 いつもいただいている倫理法人会からのお便りを再掲させて
いただきます。とてもいい話なので、ご一読ください。

 古くからの言葉に「益者三友、損者三友」というものがあります。
交際して益をもたらす友とは、
①直言の友(ことある度に素直に正直に物を言ってくれる)
②誠実な友(まことの心の持ち主で、いい時も悪い時も
 変わらぬ心を注いでくれる)
③博学な友(見聞、知識が広いだけではなく、
 物の道理もわきまえている)という意味です。

 対して、損をもたらす友とは、
①不正直な友(自分にプラスになると思えば積極的になるが、
 マイナスだと思えば言い訳や弁解を重ねる)
②不誠実な友(いいときには擦り寄ってきて、
 悪いときにはいの一番に離れ、裏に回っては悪口、
 陰口を並べたてる)
③巧言の友(言葉は巧みだが誠実さに欠け、人の心をもて遊ぶ)です。

 私たちは益者の友を多く持ちたいものです。
しかし、親友を持つには、まずはその親友にふさわしい自分に
ならなければなりません。厳しい時代であるだけに、
一人ではなかなか生きられません、
時に温かく、時に厳しく諭してくれる友を持つことは、
人として限りない幸せです。

●情報発信
①ほんのり春気分 ~栗林公園~
 梅が咲き始めた栗林公園。まだまだ寒い毎日ですが、
少しずつ春が近づいているを感じることができます。
一足先にほんのり春気分を味わいに、
梅の香り漂う栗林公園へ来てみませんか?
美しい景色の中をゆっくり散策して、途中疲れたら、
「掬月亭」や「古民芸館カフェ」でゆったりくつろいだら、
寒さも吹き飛びます。

 2月5日金から3月3日(水) ほんのり春気分
「掬月亭」と「古民芸館カフェ(讃岐民芸館)」がセットのよくばり企画!

①【掬月亭 お抹茶セット】抹茶+お菓子 = 500円

②【古民芸館 カフェセット】コーヒー(紅茶)+春のケーキ = 500円

 ※日を変えて2度楽しむもよし、一日で両方楽しむのもよし。
 ①+②=800円

 2/5(金)~3/3(水)の期間中、いつでも使えます。
 
 掬月亭(茶室)では、まだまだ寒い中お越しいただいた皆さまに、
一足先に春のぬくもりを感じていただこうと、心あたたまる
おもてなしを用意してお待ちしています。

 ①特別割引料金
  抹茶+お菓子(通常料金)710円→500円
  ☆【入園券+掬月亭料金】セット券はさらにお得。(1,080円→800円)

 ②あったかプレゼント
  ささやかですが温もりを。くり返し使えるエコカイロをプレゼント!

 ③春の生菓子を御用意かわいらしい春をお召し上がりください。
  平日 先着50名様 ・ 土日祝 先着  100名様

 「古民芸館カフェ」では
東門近くの讃岐民芸館の奥、風情ある中庭があるカフェ。
コーヒー(紅茶)とケーキとともに憩いの一時を過ごしてはいかがですか?
期間限定の春のスイーツが登場します。

★★関連イベント★★
◎2/6(金)~2/11(祝)9:30~16:30
『女のまつり』(商工奨励館北館)

◎2/21(土)・22(日)
『梅まつり』
(商工奨励館付近・北梅林)

◎2/27(土)10:00~12:00
『折り紙と絵手紙教室』(掬月亭)
 橋本歌子先生(折紙)と石井輝夫先生(絵手紙)に教わりながら、
かわいらしい折紙や絵手紙を作ってみませんか。

【問合せ先】
(社)香川県観光協会(栗林公園) 087-833-7411
(社)香川県物産協会(栗林公園) 087-833-7412
観光振興課 総務・施設G    087-832-3361
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(105)生きていることこそ幸せ !

 二十四節気では、
最後の大寒を1月20日に迎え、寒さもかなり厳しくなっています。
私の周りにも風を引いている人たちを見かけますが、
どうかくれぐれもご自愛ください。

 七十二候では、
大寒の次候の水沢腹堅(沢に氷が厚く張りつめる)の候から、
末候の鶏始乳(鶏が卵を産み始める)の候です。

●忘れてはいけない方たち・・・
 昨年も素敵な方たちが神に召されてしまいました。
1月には、フォーリーブスの青山孝史くん(享年57歳)、
視覚のマジシャンとも言われた
グラフィックデザイナーの福田繁雄さん(享年76歳)、
2月には、シャンソン歌手の大木康子さん(享年66歳)、
3月には、東京オリンピック体操金3個を始め金メダル5個、
3大会団体優勝メンバーの遠藤幸雄さん(享年72歳)、
日本舞踊の紫派家元で女優の藤間紫さん(享年85歳)、
4月には、清水由貴子さんが短い生涯を終えました。(享年49歳)。
5月には、日本ロックの神様と言われていた忌野清志郎さん(享年58歳)、
津軽海峡冬景色作曲の作曲家三木たかしさん(享年64歳)、
切り絵作家滝平二郎さん(享年88歳)、

 そして私が大ファンだった
元NHKとフジのアナウンサーであった
頼近美津子さん(享年53歳)、
作家の栗本薫さんも56歳で亡くなっています。
6月には、プロレスノア社長の三沢光晴さん(享年46歳)、
「でっかいどう、北海道」などのキャッチコピーで有名な
コピーライターの眞木準さん(享年60歳)、
7月には、ロック歌手の川村カオリさんが38歳という若さで、
8月には、大原麗子さんが62歳で、山城新伍さんが70歳で、
そしてフジヤマのトビウオとして水泳自由形で33回の世界記録を
樹立した古橋広之進さんも80歳で亡くなられました。

 9月は、クレヨンしんちゃんの臼井儀人さん(享年51歳)、
10月は、歌手の加藤和彦さんが62歳で、
女優の南田洋子さん(享年76歳)、
社会評論家の室伏哲郎さん(享年78歳)、
11月は、タレントの亀山房代さんは42歳という若さで、
そして12月は日本画の巨匠平山郁夫画伯が79歳で亡くなりました。

 海外では、天才ミュージシャンのマイケル・ジャクソン(50歳)、
アメリカ美人女優のファラ・フォーセット(62歳)、
政治家では、フィリピンのコラソン・アキノ元大統領(76歳)、
ノーベル経済学賞受賞のポール・サミュエルソン(94歳)、
女優のジェ二ファー・ジョーンズ(90歳)、
隣の韓国では、金大中元・盧武絃(ノムヒョン)前大統領と相次いで
亡くなりました。

 たくさんの人が昨年亡くなりましたが、多くの方には、可能性を秘めて
素晴らしい未来があります。
生きてることが幸せ、感謝しながら大切に日々を過ごさなければいけないと
自戒しています。

 さらに、大地震が発生したハイチの被災状況。
私自身も先週か今週にかけて海外で留守にすることが多く、
詳細は掴めていませんが、地球より重いと言われる人の命が、
瞬時にこれほどまでに失われるのかと思うと、胸につまされます。
不幸にも亡くなられた方には、ご冥福を祈るとともに、
個人的にははわずかな義捐金くらいしかできませんが、
行方不明者の救出、震災後の対策など、
多くの課題が速やかに解決されることを
祈るばかりです。


●意外と知られていない秘話!
源平合戦那須与一
 高松市の東部に、牟礼町、庵治町があります。
屋根の形をしたメサ状の屋島が間近かに見え、静かな落ち着いた地域ですが、
源平合戦の史跡も数多く点在してあります。

 1642年に高松に赴任した、徳川家康の孫であり、
水戸光圀(黄門)の兄でもある、高松藩の初代藩主松平頼重公が、
この源平合戦の史跡を、改めて整備したとも言われていますが、
そこには、私のご先祖様とも思われる那須与一に関係のある、
扇の的の駒立岩、祈り岩なども、当時を偲ぶかのように存在しています。

 私たちは、那須与一の扇の的と言えばあの源平合戦の…と思い浮かびますが、
歴史書「吾妻鏡」や関白太政大臣九条兼実の日記「玉葉」には、
源平合戦はあっても、那須与一の話は、一切ないのですから不思議です。
さらに、当時、京都の町では、源平合戦(屋島、壇の浦の戦いなど)すら
知らされていません。
また、ほぼ同時代の鴨長明の「方丈記」などにも、その記載はありません。
おそらく、京の人にとって、四国や九州のことは、
ほとんど無関心だったに違いありません。
那須与一を後世に伝えたのは、わずか「源平盛衰記」や「平家物語」しかない
というのですから驚きです。

 また、歴史というのは、その時代時代で特色があり
ほんとうに面白いものです。そして歴史を学ぶ時に特に注意しなければ
いけないことは、現在の常識や概念を当てはめて考えてはならない
ということです。

 当時の時代を思い浮かべて、当時の眼で時代を考証しなければ
いけないことです。たとえば、兵士や戦い方です。
源平合戦の幕開けでもある1184年2月7日の一の谷の戦いですが、
義経は、本来は、2月4日に奇襲する予定でした。
しかし、2月4日は3年前に63歳で亡くなった平清盛の命日だったので、
平家が仏事を行っている時に攻めるのはよくないと考え、
日を延ばし、結局7日の奇襲となったわけです。
奇襲はするけど、日を選ぶというのは、なかなか面白い逸話です。
 海軍を持たなかった源氏は、海に逃げる平家を追うことができず、
結局、2月17日、(大阪)摂津渡辺を発ち、嵐の中、
阿波の国へ向かいます。そして、現在の小松島市付近に上陸して、
地元の実力者を打ち負かし、見張りを立てなかった平家の油断を突き、
一挙に2月19日には、屋島の戦い(3日間)に臨み、
2月20日には、扇の的事件、そして、3月24日には、
山口県の壇の浦の戦い(わずか1日の戦い)で、平家を滅亡させています。
 
 こう書くと、そうかと多くの皆さんが納得するのですが、
実は、2月7日の一の谷合戦は、
1184年、嵐の中、(大阪)摂津渡辺を発ち、
阿波の国へ向かった2月17日は、なんと翌年の1185年のことであり、
ここには1年以上のブランクがあります。
これはどうしたことでしょうか?

 答えはこうです。当時の兵士は、農民を借り集めたものであって、
専門職(プロ)の兵隊ではなかったのです。
だから、兵隊を動かせるのは、農閑期の晩秋から冬に限ることとなり、
春を迎える3月には、兵士は、ふるさとに帰って、
農作業に従事しなければいけなかったのです。
兵士は実は農民をかり集めたものでした。
源氏が再び動き出したのが、1年後ですから、
平家も油断していたのでしょうか、
屋島まで見張りをほとんど置いていなかったらしく、
だからこそ、徳島上陸後、あっという間に屋島まで駆けつけることが
できたようです。

 屋島の戦いも、いきなり切りあうわけでもなく、
古文書によれば、まずは名前をお互いに名乗って、
それから、お互いの悪口を罵り合って、悪口が言い尽くされ、
疲れた頃から、ようやく弓矢が放たれることになるようです。
今でもこの戦闘スタイルは、南海の島々では行われています。
源氏の戦いは、たとえば、当時の戦いとしてはタブー視されていた
船の船頭や漕ぎ手を真っ先に狙って、船の自由を奪って、
退治するいわば卑怯な戦法をとったりしていますし、
また、この源平合戦から、赤組(平家)、白組(源氏)が誕生しました。

 那須与一宗高、当時17歳。まさか自分に白羽の矢が当たる
(指名される)とは夢にも思わなかったはずです。
それでも、見事成功させて、下地が金色で、赤い日の丸の扇の的が
ゆらりと舞い上がり、舞い落ちる様は、
まさに琵琶法師の語りの聞かせどころです。

 平家物語では、以下のような記述があります。
 鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける、
しばしは空にひらめきけるが、春風にひともみふたもみもまれて、
海へさっとぞ散ったりける。
夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出だしたるが、
白波の上にただよい、浮きつ沈みつゆられければ…
目に浮かぶような実に見事な語りです。

 ところで、那須与一の与一は、10あまる1ということで、
よく11男の人を指しますが、那須与一も文字通り11男です。
そして、なんと兄のうち9人が平家についていたということは、
皆さんご存知だったでしょうか!

 見事、扇の的を射止め、褒美に武蔵を始め5つの荘(土地)を
もらったようですが、郷里の神社に全部寄付し、その後の消息は、
どうもはっきりしません。
「日本人名大辞典」では、晩年は京都で坊さん生活を送っていたとの
記述もありますが、真偽のほどはわかりません。
源平合戦の死者を供養して、全国を行脚したとも言われていますが、
詳細は不明です。

 与一のほかに有名なのは、弟の那須大八(宗久)ですね。
彼のことは、宮崎県椎葉村の「稗つき節」の歌詞にあるように
現在まで伝わっています。
平家の落ち武者の娘である鶴冨姫との恋は、悲恋の話です。

○鶴冨屋敷
 http://www.vill.shiiba.miyazaki.jp/cms/index.php?itemid=237

○稗つき節
 http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hietsukibushi.html

 那須と言う姓は、東国武士ということで、栃木県に多いですが、
意外と、宮崎県にも多くあるのは、このような理由なのですね。

 以上、出典
さぬき発 与一の矢 その4
~眼からうろこの落ちるさぬきの話 キラリと光る時代の一コマ~
「歴史に無関心なほどもったいないものはない」 那須著です。
(調査月報2009年10月号から)


●情報発信

○情報発信賞金だけじゃない。
「四国を感じるオーナー権」 プレゼント!

 四国ツーリズム創造機構「ロゴマーク」・「キャッチコピー」募集!

 みなさん「四国ツーリズム創造機構」をご存知でしょうか。

 「四国ツーリズム創造機構」は2009年7月31日に設立された、
官民一体による広域連携で、四国の観光産業の活性化を推進する団体です。
簡単に言うと、四国の良いところを皆さんに知ってもらい、
もっと四国に遊びにきてもらうために頑張ってる人達です。
この度、その生まれたての「四国ツーリズム創造機構」のために、
同じく四国を愛するHIPが、新しいロゴマークとキャチコピーの
公募をお手伝いさせて頂くことになりました。
もちろんただのデザイン公募ではありません。ロゴマーク、
キャッチコピーが選ばれた人には、なんと賞金30万円をプレゼント!
そして、今回は賞金だけじゃありません。賞金とは別に、
「四国を感じるオーナー権」をプレゼント。
四国ならではのスペシャルな「オーナー権」を
四県から選ぶことができます。
 そして、「私、デザインできないから・・・」という方にも朗報です。
今回、最優秀賞作品応募者を推薦した方にも
「四国を感じるオーナー権」がもらえちゃいます
気になるオーナー権の内容ですが...

■香川■ 坂出・日の出製麺所
ご家庭用うどん1年分&お店で1年間食べ放題 権!
しのぎを削る讃岐うどんの世界で、その名を知られる「日の出製麺所」。
二度の農林水産大臣賞を受賞、
最高の小麦粉・最高の塩・最高の技で作られた麺は、
60年を超える職人の経験と研ぎ澄まされた感覚で
練り上げた至高の一品です。
あくまでも「製麺所」にこだわるため、
店頭で打ちたてのうどんを食べられる時間は昼間の1時間だけ。
そんな貴重な日の出の最高のうどんを、
自宅でも店頭でも一年間思いっきり楽しめる権利をプレゼント!

■愛媛■ 今治・しまなみ海道 大島
大きさ選べる船のオーナー&元郵便局1年間使用 権
今治沖に浮かび来島海峡大橋で結ばれた、
村上水軍ゆかりの美しい島、大島。
その大島からいつでも好きな時に出港できる船のオーナー権をプレゼント。
美しい瀬戸内の島々をクルーズしたり
、魚介の豊富な海で釣りを楽しむことができます。
あわせて、大島の元郵便局を丸ごと1年使用できる権利をプレゼント。
青い屋根にピンクの壁、レトロ感漂うかわいい佇まい、
中はキッチンにベットルーム、メインルームはギャラリーに使ったり
幅広い用途でお使いいただけます!
高知・清流を感じる四万十のオーナー権、
徳島・アートを感じる神山のオーナー権は現在交渉中です。
詳細は追って発表いたしますので、お楽しみに!
ということで、皆さん、どしどしご応募&ご友人にお知らせください!
募集内容の詳細は以下の募集要項をご確認お願いいたします。
募集要領ダウンロード.doc
キャッチコピー応募シートダウンロード.doc
ロゴマーク応募シートダウンロード.doc
募集期間 平成22年1月18日(月)〜2月28日(日)

【募集要項】
http://www.hipj.net/activity/2010/01/post-12.html
ここで、応募要項、応募シート等ダウンロードできるようになっております。
ぜひ、PRにご協力頂ければ幸甚です。
不明な点があれば遠慮なく仰って下さい。
たくさんの方のご応募お待ちしております。
お問い合わせ先:tourism-info@hipj.net

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(104)日本人の忘れ物

 二十四節気では、
1月20日に大寒を迎えます。
寒さもいよいよピークです。
時折、手袋がないと、指先が痛いほどの夜気の冷たさを感じます。
皆さん、風邪ひかないようにご自愛ください。

 前回、韓国の素晴らしい床暖房システムであるオンドルの話を書き、
オンドルの遺構が見つかり、その起源は、3世紀から4世紀らしいと
書きましたが、これは私の完全な記憶違いで、
正確には、紀元前4世紀から3世紀にかけての遺構から、
オンドルシステムがあったということが判明したので、
申し訳ありません、ここで訂正させていただきます。

 七十二候では、
小寒の次候の水泉動(地中で凍った泉が動き始める)から、
末候の雉始句隹(雄の雉が鳴き始める)の候です。

●世界中で、絶対滅びてほしくない民族は、どこ?
 第二次世界大戦で日本が敗戦濃厚と思われた1943年、
詩人で外交官のフランス人、ポール・クローデルは、
「日本人は貧しいが高貴である。世界でどうしても滅びてほしくない
 民族があるとしたら、それは日本人である。」と話しています。

 ご存知でしたか?

 これは、私たち日本人には、誇りにすべきほんとに素晴らしい言葉で、
今さらながらに、日本民族の素晴らしさ、日本民族の繊細さを痛感しています。
それは、「日本人の忘れもの」(石井英夫著)に書かれています。

 ポール・クローデルは、フランス人。
彼は、1921年(大正10年)から、1927年(昭和2年)までの5年余、
駐日フランス大使をしていました。
 彼はとても日本文化に造詣が深く、
当時、日本とフランスという国家間の揉め事もなかった時代も幸いして、
姉カミーユのジャポニスムの影響も大いにあって、
在日中、歌舞伎、文楽、能などを積極的に観劇。
また地方の城郭や神社仏閣を熱心に見てまわり、文化人とも親しくして、
日本文化の本も何冊か出版し、当時の親日派の代表格でありました。
 彼の大きな功績は、渋沢栄一と協同して、日仏会館を発足させたことでした。
このような人がいて、日本人が最大限の評価を得ていた時代が
あることを、私たちは忘れてはならないと思います。
というか覚えておかなければいけないことです。
しかし、私もこの事実は、私のメールを読んでいただけている方から
教えていただき、知りましたので、
あまり偉そうに言えないのですが、しっかりと伝えていかなければ
いけないことだと思っています。

 ちなみに、
このポール・クローデルに、ジャポニスムなどの大いなる影響を与えた
姉カミーユ・クローデルこそ、実は、
19世紀を代表する近代彫刻の父と言われている
オーギュスト・ロダンの、優秀で美貌の弟子でした。

 ロダンは異常なほどの近視で、結局学校の入学試験には
ことごとく落ちて、独学で彫刻を学びました。
そのようなロダンをいつも支援してくれた姉マリアが、
ある日突然、彼の友人とのに恋に破れて自殺し、
それが原因でロダンは10年以上引きこもり生活を送ります。
その後、彼は、正妻となるローズに出逢って
また彫刻作品の制作に取りかかるのですが、
出来上がった作品があまりにリアルすぎて、
本当の人間の型を作って作品を制作したのだろうなどと疑われ、
失意の底に沈むのでした。
そこに登場してきたのが、実は、カミーユだったのです。
彼女は、ロダンの才能に憧れ、女性をアーティストとして認める
土壌がない19世紀の社会で、ロダンを通じて自己の才能を
発揮するわけですが、気がつくと、ロダンの愛人となっていました。
ところが、ロダンの正妻と言われたローズも実は内縁関係だったのです。
しかし、結局は、ロダンがあまりに優柔不断で、
最後はローズの元に帰ったことから、カミーユは精神に異常をきたし、
最後は、精神病院で一人亡くなりました。
 この背景に、19世紀の社会は、女性の芸術家を認めなかったという悲劇が
あったことは忘れてはいけないことだと思います。

 カミ-ユの残された写真を見るたびに、
私は、彼女のその美貌にいつもはっとして驚かされます。
でもその美女のカミーユが、ロダンの才能は評価しても
なぜそれほどハンサムでないどころか醜男といってもかまわないような、
また24歳も離れたおっさんでありながら、
そして優柔不断な性格のロダンに、精神を病むほどほれ込んだのは
私にはこのあたりよく知りません。

 まっこと男と女は、いつの時代にも不可思議なものだということは
言えますね。

 それにしても、ポール・クローデルは、日本文化をよく勉強しています。
「侘び」、「寂び」、「幽玄」から始まり、
「序破急」、「守破離」、「真行草」、「引き算の文化」など、
まさに混迷の世界が希求すべきものが、
その真髄として脈々と根底に流れているのが、日本文化なのです。
勉強していかなければいけないことがあまりにもたくさんあります。
世界の人があこがれる日本文化、
しかし、その文化の担い手である日本人が、実は
大切なものを、経済成長の中で豊かな物質文化を目指してきているうちに
どこかに忘れてしまってきていることは、
多くの人が最近、異口同音に訴えかけています。

 日本人の大きな忘れもの、早くとり戻す必要があります。
今ならまだまだ十分間に合うと思います。
そう思いませんか?


●中川幸夫、そして中川幸夫プレ美術館をご存知ですか?
 1918年生まれの中川幸夫氏は、今年92歳。
香川出身のふるさとが誇れる前衛いけばな作家です。

 三越高松店でも、この週末、生け花展が開催され、
池坊流、嵯峨御流、草月流、一生流と4流派が集合していましたので、
私も会場を覗いてきましたが、
スイセン、椿のほか、ロウバイなど、ほんと斬新な内容の作品、
驚かされる作品も多かったです。
少しずつ、華道界も変わってきています、

 最近、丸亀に中川幸夫プレ美術館が建設されたということで、
先日、休みを利用して伺ってきました。
 飯野山を東に正面に見る住宅地の中にあるこの美術館は、
うっかりすると見過ごしてしまうほど、
道路から一筋引っ込んだところにあり、わかりにくいですが、
ちっちゃなこじんまりとした美術館です。

 http://kenchiku.co.jp/event/detail.php?id=1574

 中川幸夫氏は、子供の頃に、事故による怪我がもとで、
脊椎カリエスにかかったというハンディもあってか、
大阪に奉公に出かけた印刷屋も、やめて帰郷。
その後、祖父と叔母が行っていた池坊の生け花を手伝っていましたが、
1949年、31歳の時に、中川氏の作品を庭園家の重森三玲氏が認め、
それを雑誌に掲載することによって、
世に出ました。

 その後、白菜を生けた作品「ブルース」で、家元と衝突して、
それまでにも生け花界の決まりごとにも耐えられないこと多々あって、
結局は、花の命を見極めたいとの思いが強く、
花との格闘を生涯の仕事とする道を選び、
池坊を脱退し、前衛いけばな作家として独立しました。

 しかし、前衛いけばな作家として独立するということは、
流派に属せず、それは同時に発表の場を失うことであり、
それ以降、中川氏は極貧の生活が続いたようです。

 自作ガラスの中に枯れていくカーネーションの花々を詰めて
密封した作品の「花坊主」は有名です。
そのままにしておくと、1、2週間くらいで
萎れて、枯れて、腐ってしまいますが、
この腐っていく過程こそ、花が生きていることの証左であり、
枯れる間際も、美しく咲いている時以上に、
実は美しいのだと、彼は主張しています。
 また、めしべやおしべを生けた「チューリップ」など
その後続々と個性的な作品を発表し、注目を集めましたが、
特に、作品集「華」は、世界で最も美しい本の国際コンクールで
入賞したほどです。

 富山県砺波市で開催された、
空から100万枚のチュ―リップの花びらを撒く「天空散華」は、
舞踏家大野一雄氏のパフォーマンスもあって
大人気のイベントとなりました。
 大勢の人が河川敷で見守る中、ヘリコプターから撒かれる花びらが、
空中に舞う様相は、花の乱舞と言おうか、
あまりの花びらの多さに、
多くの人が目を釘付けにされていました。

 最近では、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」の題字を
書いていますが、中川氏は、ふるさとが誇れる素晴らしい人ですので、
ぜひプレですが、美術館にお出かけください。
作家早坂暁は、純粋に日本文化の表現に拘っている
中川幸夫氏のことをニッポニア・ニッポンとも称しているほどです。

 中川幸夫プレ美術館、平日はクローズしていますので、
出かける前にオープンを必ずご確認ください。
予約をしていけば、安心して見れます。
丸亀のバイパスの南側です。
その北側近くには、一鶴の骨付き鳥の石造りの大きなお店があります。

●今年2010年の恵方は?
 今年の恵方は、西南西の方向です。
恵方とは、十干により、その年の幸運を招く方角のことです。
東京のある新聞では、大手旅行エージェンシーが、
関東地方から見て、小豆島の方向が恵方ということで、
小豆島に出かけようキャンペーンを行っていると連絡がありました。
同じフロアの別の課の人が、掲載新聞まで届けていただきました。
ありがたいことです。感謝です。
今年の恵方は、西南西の方向です。
覚えていただくと、またいいことがあるかもしれませんね。
首都圏の皆さん、今年は香川に来てみませんか?
きっといいことありますよ・・・。

●金子みすずのモザイク画がギネスに認定
 「みんな違って、みんないい」(私と小鳥と鈴と)という詩で、
私たちを魅了している山口県長門市仙崎出身の
詩人金子みずずさんの顔を
12万枚のみんなの笑顔の写真をくっつけて作成した
縦約32m、横約43mのモザイク画が完成しました。
そしてこの作品が、世界最大のモザイク画として、
最近ギネスに認定されました。

 これまでのギネスの記録は、11万3千枚。
この長門のまちのこの異常な盛り上がりに、
うらやましきこと限りないです。
ほんとうに素敵な詩人です。
日本人の宝ものです。彼女の詩は・・・。
彼女は亡くなっても、彼女の精神はじっかりと生きています。

●情報発信
①たのしい恐竜一億年
 高松市牟礼町の石の民俗資料館では、
1月23日(土)の14時から16時まで、
「たのしい恐竜一億年」展を開催しています。
 当日は、サイエンスコミュニケーターの田中真士先生の
講演「楽しい恐竜の話と古生物アート」があります。
無料ですが、ぜひともおでかけください。
子供たちにはワンダーランドですし、大人も十分楽しめます。
1億5千年以上も続いた恐竜ワールド、
人類が出現してたかだかまだ500万年。
まるで、気が遠くなるようなこの違い。
恐竜には完全に負けています。(笑い)
 
②流政之 陶と書
 高松天満屋では、1月25日(月)まで、
5階フロアで、「流政之 陶と書」展を行っています。
流さんは、バレンタインが誕生日ですが、
なんと今年で87歳を迎えます。
老いてますます元気な流さんですが、
2008年から対岸の備前に出向き、備前焼を勉強されていて、
今回「流わん」を出品展示しています。
なかな味わいのあるフォルムや色合いですので、
ぜひ一度ご覧になってください。

 ちょうど私が訪問しました16日土曜日の午後にも
ご本人が会場に来られて、少しだけですがお話させていただきました。
釉薬を使わない備前焼は、実は窯から出るまで、
作家自身もどのような作品になって出てくるのか分からないのです。
だからこそ楽しいとも言っています。

 日本人は木の文化であることに反発して、始めたのが石の彫刻。
しかし、流氏の作品のサキモリシリーズは、
石でありながら、木の風合いです。
さらに秋には、確か御神木を使用したサキモリが完成すると
流氏は言っています。

 ゼロ戦パイロットとして3年間乗務。
裏千家の前千宗室とともに、明日の日本を支える若者として
生きて素晴らしい日本をつくるようにと
特攻隊志願を拒否された2人は、戦後それぞれ別の道を歩みますが、
しかし特攻隊を拒否されたことがトラウマとなって、
その後お互いに逢わなかったようです。
それがつい数年前に函館の大沼で再会しましたが、
その話をJR北海道の会長様から聞いて、
感動してしまったことを今では懐かしく思い出します。

 1967年、アメリカのタイム誌に、
日本を代表する5人の文化人として、
三島由紀夫、黒澤明、川端康成、丹下健三とともに紹介された流政之氏。
彼以外は皆さん亡くなり、今彼ひとりだけ生きていて、
私と話してくれる流氏のまなざしは、
とてもやさしく感じられました。

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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